マリア・アマーリア・フォン・ブランデンブルク

マリア・アマーリア・フォン・ブランデンブルク(Maria Amalia von Brandenburg[-Schwedt], 1670年11月26日 - 1739年11月17日)は、ドイツブランデンブルク=シュヴェート辺境伯家の公女。

マリア・アマーリア・フォン・ブランデンブルク
Maria Amalia von Brandenburg
Duchess Maria Amalia of Saxony-Zeitz c 1700.jpg

出生 (1670-11-26) 1670年11月26日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
Flag of Brandenburg (1340-1657).svg ブランデンブルク選帝侯領ベルリン郊外、ケルンドイツ語版
死去 (1739-11-17) 1739年11月17日(68歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
Flag of Electoral Saxony.svg ザクセン選帝侯領シュロイジンゲン、ベルトルトスブルク城(Schloss Bertholdsburg
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=カッセル方伯領カッセル、ザンクト・マルティン教会
配偶者 カール・フォン・メクレンブルク=ギュストロー
  ザクセン=ツァイツ公モーリッツ・ヴィルヘルム
子女 フリードリヒ・ヴィルヘルム
ドロテア・ヴィルヘルミーネ
カロリーネ・アマーリエ
ゾフィー・シャルロッテ
フリードリヒ・アウグスト
家名 ホーエンツォレルン家
父親 ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム
母親 ドロテア・ゾフィー・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク
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生涯編集

ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム(大選帝侯)とその2番目の妻でシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルクフィリップの娘であるドロテア・ゾフィーの間の長女として生まれた。マリア・アマーリアとその同母の兄弟姉妹は系譜上において、母ドロテアの創設したブランデンブルク=シュヴェート辺境伯家に属し、異母兄のプロイセン王フリードリヒ1世とは系統を異にすると見なされている。

1687年8月20日にポツダムで、メクレンブルク=ギュストロー公グスタフ・アドルフ世継ぎ公子カール(1664年 - 1688年)と結婚したが、翌1688年に夫妻の間に生まれた子供は誕生直後に亡くなり、カールもそのあと間もなく死去した。

1689年6月25日にポツダムにおいて、ザクセン=ツァイツ公モーリッツ・ヴィルヘルムと再婚し、21年の結婚生活の間に5人の子女をもうけたが、成育したのは娘1人だけだった。夫の死後は寡婦財産として与えられた旧ヘンネベルク伯領(Grafschaft Henneberg)のシュロイジンゲンで暮らし、1739年に亡くなると、娘婿のヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム8世の計らいにより、カッセルのザンクト・マルティン教会(St. Martinskirche)に葬られた。

子女編集

2番目の夫モーリッツ・ヴィルヘルムとの間に5人の子女をもうけた。

  • フリードリヒ・ヴィルヘルム(1690年)
  • ドロテア・ヴィルヘルミーネ(1691年 - 1743年) - 1717年、ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム8世と結婚
  • カロリーネ・アマーリエ(1693年 - 1694年)
  • ゾフィー・シャルロッテ(1695年 - 1696年)
  • フリードリヒ・アウグスト(1700年 - 1710年)

外部リンク編集