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ドロテア・ゾフィー・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク

リューネブルク侯妃/ブランデンブルク選帝侯妃ドロテア

ドロテア・ゾフィー・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルクDorothea Sophie von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg, 1636年9月28日 - 1689年8月6日)は、リューネブルククリスティアン・ルートヴィヒの妃、後にブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの2番目の妃。

ドロテアはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルクフィリップと、ザクセン=ラウエンブルクフランツ2世の娘ゾフィー・ヘートヴィヒの間に生まれた。デンマークノルウェークリスチャン3世の男系の曾孫にあたる。

1653年、本家のデンマーク・ノルウェー王フレゼリク3世の義兄にあたるリューネブルク侯クリスティアン・ルートヴィヒと結婚した。夫との間に子供は生まれず、1665年に夫が死ぬと寡婦財産として与えられたヘルツベルク城に引退した。

1668年6月14日、ドロテアはブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムと再婚する。継息子のフリードリヒ(後のプロイセンフリードリヒ1世)が夫の後を継ぐため、ドロテアは自分の産んだ息子達に何がしかの財産を残したいと考え、1670年に貴族達から領地を買い取ってブランデンブルク=シュヴェート辺境伯領を成立させた。1676年には、選帝侯妃として自らアルトプロイセン第7歩兵連隊を組織し、自らその連隊長となった。また1678年1682年に建造されたブランデンブルク選帝侯領の2隻のフリゲート艦には、ドロテアの名前が付けられていた。ベルリンにあるドロテア通りの名前も彼女に因むものである。

1689年、カールスバートで亡くなり、ベルリン大聖堂に葬られた。

子女編集

2番目の夫であるブランデンブルク選帝侯との間に4男3女をもうけた。

外部リンク編集