マリー・ド・リュジニャン (ウー女伯)

マリー・ド・リュジニャン(Marie de Lusignan, 1232年ごろ - 1260年10月1日)またはマリー・デクソダン(Marie d'Exoudun)は、ウー伯ラウル2世・ド・リュジニャンとその2番目の妃ヨランド・ド・ドルーの一人娘[1]。父の死によりエクソダン女領主およびウー女伯(在位:1246年 - 1260年)となった。

マリー・ド・リュジニャン
Marie de Lusignan
ウー女伯
在位 1246年 - 1260年

出生 1232年ごろ
死去 1260年10月1日
フランス王国ポワトゥー
配偶者 アルフォンス・ド・ブリエンヌ
子女 ジャン2世
イザベル
マルグリット
ブランシュ
家名 リュジニャン家
父親 ウー伯ラウル2世・ド・リュジニャン
母親 ヨランド・ド・ドルー
宗教 キリスト教カトリック教会
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結婚と子女

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1249年ごろにエルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌの息子アルフォンス・ド・ブリエンヌと結婚した[1]。アルフォンスはこの結婚によりウー伯となった。2人の間には以下の子女が生まれた。

  • ジャン2世1250年頃 - 1294年) - ウー伯[2]
  • イザベル(1254年頃 -1302/7年) - ダンピエール領主ジャン2世・ド・ダンピエールと結婚
  • マルグリット(1257年頃 - 1310年5月20日) - トゥアール女子爵
  • ブランシュ(1260年頃 - 1338年以前) - モビュイソン女子修道院長

脚注

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  1. ^ a b Pollock 2015, p. 147.
  2. ^ Pollock 2015, p. 183.

参考文献

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  • Pollock, M.A. (2015). Scotland, England and France after the Loss of Normandy. The Boydell Press 
先代
ラウル2世
ウー女伯
1246年 - 1260年
アルフォンス・ド・ブリエンヌと共治)
次代
アルフォンス