ミス・ワールド1968(第18回ミス・ワールド決勝)は1968年11月14日[2]、ロンドンのLyceum Ballroom(現・リセウム・シアター)で開催された。53人の出場者が競い合い、最終的にオーストラリアのペネロープ・プラマーが優勝、前年のミス・ワールドであるマデリーネ・アルトグ=ベルによって戴冠された。オーストラリア代表がミス・ワールドになるのはこれが初めてである。日本からは三好僚子[3](Miyoshi Ryoko)が出場するも入賞はかなわなかった。

ミス・ワールド1968
{
Penelope Plummer, Miss World 1968.
開催日 1968年11月14日
司会者 マイケル・アスペル(Michael Aspel[1]
会場 Lyceum Ballroom(現・Lyceum Theatre
放送局 BBC
参加 53
入賞 15
初参加 タイ
不参加 チェコスロバキア、ガンビア、ホンジュラス、アイスランド、レバノン、パナマ、ポルトガル、タンザニア
再参加 バハマ、コロンビア、インド、リベリア、ニカラグア
優勝者 ペネロープ・プラマー
オーストラリアの旗 オーストラリア
前回 1967
次回 1969

結果

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Placement Contestant
Miss World 1968
1st runner-up
2nd runner-up
3rd runner-up
4th runner-up
Top 7
Top 15

出場者

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[2]

備考

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  • 出場辞退
    •   スペイン – María Amparo Rodrigo Lorenza(ジブラルタル代表Sandra Sanguinettiの出場に抗議して出場を辞退。背景にはジブラルタルの領有権をめぐる英西間の対立が背景にある[1]
  • 出場後に棄権
    •   アイスランド – Helga Jonsdóttir
    •   セーシェル – Marie-France Lablache
  • 失格
    •   レバノン – Lili Bissar (決勝の前日、当時15歳であったことが発覚)

[2]

その他

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  • フィリピン代表のセセリア・アマブヨクは1968年11月11日現在17歳のマニラ大学学生で、優勝の前評判は高いと報道された。熱心なカトリック教徒で、ミス・ワールドに出場中はミサに行けないのが悲しみの種であると述べる。「たとえミス・ワールドに選ばれても、私は神のもの。尼になる望みは捨てませんワ」という発言が残っている[4]
  • 日本代表の三好僚子は、1968年7月20日、大手町のサンケイホールで行われた[5]〝ミス・ワールドとミス・インターンショナルの日本代表を選ぶ大会〟(世界ビューティーコングレス主催[3])で選考される。当時板橋区在住、20歳の会社員。166センチ53キロ[5]

脚注

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  1. ^ a b Miss World 1968”. imdb.com. 2024年2月2日閲覧。
  2. ^ a b c 1968”. pageantopolis.com. 2008年12月20日閲覧。
  3. ^ a b 「二つの美人代表決まる ミス・ワールドとインターナショナル」『読売新聞』、1968年7月21日、中央版・朝刊。
  4. ^ a b 「〝心の美〟も認めてネ 尼さん志望のミス・ワールド候補」『毎日新聞』、1968年11月11日、東京・朝刊、3面。
  5. ^ a b 「ワールドは板橋の三好僚子さん ミス二代表決る」『朝日新聞』、1968年7月21日、東京・朝刊、14面。