ムアーウィヤ2世664年 - 683年)は、ウマイヤ朝の第3代カリフ(在位:683年)。

ムアーウィヤ2世
معاوية بن يزيد
ウマイヤ朝カリフ
在位 683年

出生 664年
死去 683年
王家 ウマイヤ家
王朝 ウマイヤ朝
父親 ヤズィード1世
宗教 イスラム教スンナ派
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生涯編集

父は第2代カリフのヤズィード1世。683年11月に父が急死したため、跡を継いだ。だが若年のためにメッカイブン・アッズバイル[1]が即位を認めずカリフを称して独立し、第二次内乱が始まった。このような危機的状況の中、即位から約20日ほどで急死。ウマイヤ家は危機的状況に陥って一族の長老であるマルワーン1世(初代カリフのムアーウィヤ再従兄弟)を立てた。

死後編集

彼には子が無く、その死で初代・ムアーウィヤの系統は断絶し、以後ウマイヤ王家はマルワーン1世系が継承していくことになる。但し、断絶と言っても、初代・ムアーウィヤの男系からカリフ位が離れたという意味であり、初代・ムアーウィヤの血筋自体は少なくとも9世紀中葉まで存続している。更に初代・ムアーウィヤの女系子孫ではあるものの、カリフ位を継承している者もいる。第9代カリフのヤズィード2世、その子で第11代カリフのワリード2世の2人である(ヤズィード2世の母アティカ・ビント・ヤズィードがムアーウィヤ2世の姉妹で、ヤズィード1世の娘である為)。故にヤズィード2世はヤズィード1世の外孫でムアーウィヤ2世の甥、ワリード2世はヤズィード1世の外曾孫、ムアーウィヤ2世の大甥にあたる。

因みに、アティカは孫ワリード2世が744年に暗殺された時点でまだ存命であったことが記録から明らかになっている。

脚注編集

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  1. ^ 父は駱駝の戦いで戦死したズバイル、母は正統カリフのアブー=バクルの長女で、メディナで隠然たる勢力を持ち、ムアーウィヤ2世の父の時代から反抗していた。

参考文献編集

関連項目編集

先代:
ヤズィード1世
ウマイヤ朝
683年
次代:
マルワーン1世