モンテ・アーヴィン

アメリカ合衆国の野球選手 (1919-2016)

モントフォード・メリル・アーヴィンMontford Merrill "Monte" Irvin, 1919年2月25日 - 2016年1月11日[1][2])は、アメリカ合衆国アラバマ州出身のプロ野球選手。右投右打。

モンテ・アーヴィン
Monte Irvin
Monte Irvin 1953.jpg
1953年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州ヘイルバーグ
生年月日 (1919-02-25) 1919年2月25日
没年月日 (2016-01-11) 2016年1月11日(96歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手外野手一塁手
初出場 1949年7月8日 (MLB)
最終出場 1956年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1973年
選出方法 ニグロリーグ特別委員会選出

経歴編集

ニグロリーグ時代編集

アーヴィンはニュージャージー州の高校で4種目のスポーツをこなし、やり投でニュージャージーの州記録を作ったこともある。高校卒業後ペンシルベニア州リンカーン大学に通っていたが、同じ年にニグロリーグのニューアーク・イーグルスに遊撃手として入団する。入団当時は『ジミー・ネルソン』という偽名を使ってプレーし、大学にも通い続けていたという。イーグルスでは当時の監督だったウィリー・ウェルズの指導の下で遊撃手としての技術を磨き、1940年と1941年にニグロリーグ東西オールスター戦にも出場するほどに成長する。また攻撃面でも非凡なところを見せており、1940年と1941年のニグロリーグでの打率はそれぞれ.422と.396を記録した。1941年、アーヴィンはイーグルスと月165ドルの契約をしていたが、更に25ドルの昇給を求めたのをオーナーのエファ・マンリーが断ったのをきっかけに、この年のオフにメキシコリーグに参加、68試合で30本塁打、打率.398で打点もあわせてリーグの三冠王となり、最優秀選手として表彰されている。

1943年からは約3年間第二次世界大戦に出兵し陸軍に従軍、復帰後の1945年冬にプエルトリコのウィンターリーグに参加し、同年の最優秀選手となっている。ニグロリーグに復帰した1946年には打率.401で自身二度目の首位打者を獲得、この年のカンザスシティ・モナークスとのニグロ・ワールドシリーズを制覇する原動力となった。ニグロリーグのオールスターゲームには1948年までで計5回(1940年、1941年、1946年 - 1948年)出場している。

前後するが、アーヴィンは1945年に当時ブルックリン・ドジャーズの経営者だったブランチ・リッキーから入団契約の誘いを受けたことがあったが、自分はまだそのレベルにないとしてその誘いを一度断っている。しかし『カラーライン』が破られた1948年のシーズンオフにキューバでのウィンターリーグに参加した後、ニューヨーク・ジャイアンツが5,000ドルの契約金を支払い、アーヴィンはメジャーリーグ入りを果たすことになる。

メジャーリーグ時代 - 引退後編集

 
アーヴィンのジャイアンツ在籍時の背番号「20」。
サンフランシスコ・ジャイアンツの永久欠番2010年指定。
 
永久欠番表彰式でのアーヴィン(2010年)

アーヴィンは1949年7月8日にメジャーリーグにデビューする。メジャーリーグ3年目の1951年に151試合に出場し打率.312、121打点でこの年のナショナルリーグ打点王を獲得、ジャイアンツのリーグ制覇に貢献し、また自身も最優秀選手の投票でリーグ3位となった。ワールドシリーズではヤンキースに2勝4敗と敗れたものの、アーヴィンは6試合で24打数11安打の活躍をした。翌1952年にはメジャーリーグのオールスターゲームにも出場を果たしている。ジャイアンツには7年在籍し、1956年にシカゴ・カブスでプレーしたのを最後に現役を引退した。

引退後、1967年から2年間ニューヨーク・メッツのスカウトとして働き、その後1984年までメジャーリーグのコミッショナー事務局に勤め渉外を担当していた。1973年ニグロリーグ特別委員会によりアメリカ野球殿堂入りし、以後ベテランズ委員会の委員としてアフリカ系アメリカ人野球選手の認知活動を続けている。

2010年5月26日、古巣ジャイアンツはアーヴィンの在籍時の背番号『20』をチーム11番目の永久欠番に指定した。

2016年1月11日、死去[1][2]。96歳没。

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
1949 NYG 36 93 76 7 17 3 2 0 24 7 0 -- 0 -- 17 -- 0 11 2 .224 .366 .316 .681
1950 110 432 374 61 112 19 5 15 186 66 3 -- 1 -- 52 -- 5 41 7 .299 .392 .497 .889
1951 151 657 558 94 174 19 11 24 287 121 12 2 1 -- 89 -- 9 44 15 .312 .415 .514 .929
1952 46 136 126 10 39 2 1 4 55 21 0 1 0 -- 10 -- 1 11 3 .310 .365 .437 .801
1953 124 502 444 72 146 21 5 21 240 97 2 0 0 -- 55 -- 3 34 20 .329 .406 .541 .947
1954 135 512 432 62 113 13 3 19 189 64 7 4 3 5 70 -- 2 23 18 .262 .363 .438 .801
1955 51 173 150 16 38 7 1 1 50 17 3 0 1 2 17 0 3 15 5 .253 .337 .333 .671
1956 CHC 111 388 339 44 92 13 3 15 156 50 1 0 3 4 41 5 0 41 11 .271 .346 .460 .807
MLB:8年 764 2893 2499 366 731 97 31 99 1187 443 28 *7 9 *11 351 5 23 220 81 .293 .383 .475 .858
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度がある事を示す

年度別守備成績編集

内野守備


一塁(1B) 三塁(3B)
























1949 NYG 5 40 3 0 5 1.000 5 1 11 1 1 .923
1950 59 459 48 11 62 .979 1 1 1 0 0 1.000
1951 39 348 50 8 47 .980 -
1954 1 2 0 0 0 1.000 1 0 0 1 0 .000
MLB 104 849 101 19 114 .980 7 2 12 2 1 .875
外野守備


左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1949 NYG - - 10 15 3 0 0 1.000
1950 20 53 1 0 0 1.000 - 30 55 0 1 0 .982
1951 90 195 8 1 1 .995 - 26 47 1 0 0 1.000
1952 30 44 3 0 1 1.000 1 1 0 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ----
1953 86 183 9 6 3 .970 - 29 59 1 1 1 .984
1954 127 270 7 7 0 .995 - 2 1 0 0 0 1.000
1955 CHC 41 73 2 4 0 .949 - 7 12 2 0 0 1.000
1956 96 216 7 2 0 .991 - -
MLB 490 1034 37 20 5 .982 1 1 0 0 0 1.000 105 189 7 2 1 .990

記録・表彰編集

メジャーリーグ

タイトル編集

表彰編集

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集