< 1953年 | 1953年のスポーツ

競技結果編集

日本プロ野球編集

ペナントレース編集

セントラル・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 読売ジャイアンツ 87 37 1 .702 -
2位 大阪タイガース 74 56 0 .569 16.0
3位 名古屋ドラゴンズ 70 57 3 .551 18.5
4位 広島カープ 53 75 2 .414 36.0
5位 大洋松竹ロビンス 52 77 1 .403 37.5
6位 国鉄スワローズ 45 79 1 .363 42.0
パシフィック・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 南海ホークス 71 48 1 .597 -
2位 阪急ブレーブス 67 52 1 .563 4.0
3位 大映スターズ 63 53 4 .543 6.5
4位 西鉄ライオンズ 57 61 2 .483 13.5
5位 毎日オリオンズ 56 62 2 .475 14.5
6位 東急フライヤーズ 50 67 3 .427 20.0
7位 近鉄パールス 48 69 3 .410 22.0

日本シリーズ編集

1953年 日本ワールドシリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月10日(土) 第1戦 読売ジャイアンツ 3 - 4 南海ホークス 大阪球場
10月11日(日) 第2戦 読売ジャイアンツ 5 - 3 南海ホークス
10月12日(月) 第3戦 南海ホークス 2 - 2 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月13日(火) 第4戦 南海ホークス 0 - 3 読売ジャイアンツ
10月14日(水) 第5戦 読売ジャイアンツ 5 - 0 南海ホークス 大阪球場
10月15日(木) 第6戦 読売ジャイアンツ 0 - 2 南海ホークス 甲子園球場
10月16日(金) 第7戦 南海ホークス 2 - 4 読売ジャイアンツ 後楽園球場
優勝:読売ジャイアンツ(3年連続3回目)

個人タイトル編集

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 大友工 巨人 岡本伊三美 南海
最優秀新人 権藤正利 洋松 豊田泰光 西鉄
首位打者 川上哲治 巨人 .347 岡本伊三美 南海 .318
本塁打王 藤村富美男 大阪 27本 中西太 西鉄 36本
打点王 藤村富美男 大阪 98点 中西太 西鉄 86点
最多安打 川上哲治 巨人 162本 中西太 西鉄 146本
盗塁王 金山次郎 広島 58個 L.レインズ 阪急 61個
最優秀防御率 大友工 巨人 1.85 川崎徳次 西鉄 1.98
最多勝利 大友工 巨人 27勝 川崎徳次 西鉄 24勝
最多奪三振 金田正一 国鉄 229個 米川泰夫 東急 180個
最高勝率 大友工
石川克彦
巨人
中日
.818 大神武俊 南海 .704

ベストナイン編集

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 大友工 巨人 川崎徳次 西鉄
捕手 広田順 巨人 松井淳 南海
一塁手 川上哲治 巨人 飯田徳治 南海
二塁手 千葉茂 巨人 岡本伊三美 南海
三塁手 与儀真助 大阪 中西太 西鉄
遊撃手 平井三郎 巨人 木塚忠助 南海
外野手 金田正泰 大阪 堀井数男 南海
与那嶺要 巨人 別当薫 毎日
南村不可止 巨人 大下弘 西鉄

オールスターゲーム編集

高校野球編集

大学野球編集

社会人野球編集

メジャーリーグ編集

できごと編集

  • 読売ジャイアンツの主催試合の観客動員が104万5千人となり、日本プロ野球史上初めて100万人を突破[1]

1月編集

2月編集

3月編集

4月編集

  • 4月4日 - 読売ジャイアンツがアメリカ合衆国遠征から帰国[5]
  • 4月9日 - プロ野球コミッショナーの井上登は、阪急が3月9日に提訴した鈴木実の阪急、巨人の二重契約問題について、巨人との契約が有効との裁定を発表[7]
  • 4月12日 - 東京六大学野球春季リーグ戦の入場式と開幕戦をNHKテレビ中継(日本初のテレビスポーツ中継)[3]
  • 4月12日 - 広島球場での広島カープ対大洋松竹ロビンス戦のダブルヘッダー第2試合の6回戦の八回表、洋松の荒川昇治が左翼線外野ポールに当てる本塁打を打ったが、球場のファンが判定を下した審判の態度が不明確だったとしてグラウンドにビール瓶、ラムネ瓶を投げ込むなど約20分間騒ぐ。試合後もグラウンドに雪崩込む、ベンチで警察官とボールを奪い合うどの騒ぎを起こす。審判団はベンチに閉じ込められ、午後7時40分頃、警官に守られながら寄宿[8]
  • 4月24日 - プロ野球コミッショナー事務局は4月12日広島で起きたファンによる騒動を防ぐため、セ・パ両リーグに対しコミッショナー名で防止策を取るよう勧告[9]
  • 4月26日 - 巨人の川上哲治が日本プロ野球史上初の通算1500安打を達成。1242試合目での達成は1987年にレオン・リーに更新されるまでの日本プロ野球最短記録[10]
  • 4月25日 - 名古屋の杉下茂が対洋松戦(大阪スタヂアム)でプロ通算100勝を達成[6]
  • 4月28日 - 広島の小鶴誠が大阪球場での対洋松7回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[11]
  • 4月29日
    • 毎日オリオンズの土井垣武が藤井寺球場での対近鉄1回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[12]
    • 名古屋の西沢道夫が対巨人戦(中日)でプロ通算150本塁打を達成[6]
    • 大阪の藤村富美男が前日に続き2試合連続満塁本塁打を放つ[13]2022年時点で日本プロ野球史上最多タイ記録[他に8名])。
  • 4月30日 - 西宮球場のナイター設備が完成[14]

5月編集

  • 5月1日 - 大毎スターズの姫野好治が後楽園球場での対阪急6回戦の四回表にティム・レインズに適時三塁打を打たれ、3月30日対西鉄1回戦の4回から続いた連続イニング無失点の記録が33で止まる[15]
  • 5月5日 - 西宮球場での初ナイター試合、阪急対毎日戦が行われる。この年の阪急はナイター試合に強く「夜の勇者」のあだ名がついた[14]
  • 5月6日 - 南海が大阪球場での対大映3回戦に4-5で敗れ、毎日も西宮球場での対阪急6回戦に2-4で敗れたため、近鉄が球団創設以来初の首位に立つ[16]

6月編集

  • 6月13日 - 南海ホークス堀井数男が対大映戦(後楽園)でプロ通算1000試合出場を達成[17]
  • 6月25日
    • 中日球場の名古屋対広島戦で同球場初のナイター開催[5]
    • 後楽園球場での大映対近鉄9回戦は延長22回4-4で時間切れ引分け。試合時間は4時間33分[18]

7月編集

  • 7月16日 - 洋松の平山菊二が大阪球場での対名古屋ドラゴンズ13回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[19]

8月編集

  • 8月8日 - 南海の柚木進が対阪急戦(大阪)で球団初となるプロ通算100勝を達成[20]
  • 8月9日
    • 巨人対洋松戦で4対4で迎えた9回裏、2死満塁から三塁走者の巨人の南村不可止がセ・リーグ史上初(日本プロ野球史上7度目)のサヨナラ本盗を記録[21]
    • 後楽園球場での東急対近鉄ダブルヘッダー第1試合の15回戦は延長20回、日本プロ野球史上最長を更新する、試合時間4時間46分。第2試合の試合開始が22時11分、試合終了は23時49分となった[22]
  • 8月20日 - 全国高校野球選手権大会の決勝戦が午後2時から甲子園球場にて行われ、松山商業が土佐高校を延長13回2-1で破り、3度目の大会優勝を達成[23]
  • 8月23日 - 阪急対毎日戦(西宮)がプロ野球テレビ初中継される[24]
  • 8月29日 - 巨人対大阪戦(後楽園)で日本テレビが初めてテレビ中継[25]
  • 8月30日 - 阪急対南海戦(西宮)の試合終了が23時54分となり、パ・リーグ史上最も遅い終了時間となった[26]

9月編集

10月編集

11月編集

12月編集

  • 12月4日 - パ・リーグは翌年度より勝率.350に満たない球団に500万円の制裁金を科すことを決定[35]
  • 12月4日 - 洋松の監督の小西得郎が辞任[2]
  • 12月19日 - 名古屋ドラゴンズを運営する名古屋野球倶楽部は株主総会で中日新聞社と名古屋鉄道の共同経営から中日の単独経営にすることを決定[36]
  • 12月19日 - 洋松の新監督に永沢武夫が就任[2]
  • 12月25日 - 高橋龍太郎をオーナーとする新球団(翌年2月に「高橋ユニオンズ」)の加盟を承認[26]
  • 12月27日 - 名古屋ドラゴンズが去る19日の決定を受け再び中日ドラゴンズとなる[5]

誕生編集

1月編集

2月編集

3月編集

4月編集

5月編集

6月編集

7月編集

8月編集

9月編集

10月編集

11月編集

12月編集

死去編集

脚注編集

  1. ^ 宇佐美徹也 『日本プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、1085頁。ISBN 4062061082 
  2. ^ a b c d 『ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、66頁。ISBN 9784583616179 
  3. ^ a b 『21世紀スポーツ大事典』 大修館書店、2015年、764頁
  4. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 571.
  5. ^ a b c d セントラル・リーグ略史”. 日本プロ野球機構. 2022年5月10日閲覧。
  6. ^ a b c 中日ドラゴンズ 編 『中日ドラゴンズ70年史』中日新聞社、2006年、284頁。ISBN 4806205141 
  7. ^ 朝日新聞1953年4月10日5面「阪急の異議認めず 鈴木投手の二重契約」朝日新聞縮刷版1953年4月p129
  8. ^ 朝日新聞1953年4月13日7面「野球ファン大暴れ ホームランの審判態度に憤慨 大洋洋松対広島 小西監督らを殴る」朝日新聞縮刷版1953年4月p155
  9. ^ 朝日新聞1953年4月25日5面「ファン騒動防止 プロ野球コミッショナー勧告」朝日新聞縮刷版1953年4月p301
  10. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 279.
  11. ^ 朝日新聞1953年4月29日5面「小鶴、千回出場を達成」朝日新聞縮刷版1953年4月p349
  12. ^ 朝日新聞1953年4月30日5面「土井垣、千回出場を達成」朝日新聞縮刷版1953年4月p361
  13. ^ 藤村 富美男(ふじむら ふみお)”. 野球殿堂博物館. 2022年5月10日閲覧。
  14. ^ a b 『阪急ブレーブス黄金の歴史 永久保存版 よみがえる勇者の記憶 1936-1988』ベースボール・マガジン社、2011年、[要ページ番号]頁。ISBN 9784583617756 
  15. ^ 朝日新聞1953年5月2日5面「南海、東急に破る 大映姫野の無失点記録 33イニングまで」朝日新聞縮刷版1953年5月p17
  16. ^ 朝日新聞1953年5月7日5面「毎日、阪急に三連敗 近鉄首位へ 南海、大映に敗る」朝日新聞縮刷版1953年5月p65
  17. ^ 南海ホークス 編 『南海ホークス四十年史』南海ホークス、1978年、363頁。 
  18. ^ 朝日新聞1953年6月25日5面「大映・近鉄、延長22合 4-4 時間切れで引分け」朝日新聞縮刷版1953年6月p293
  19. ^ 朝日新聞1953年7月17日5面「平山千回出場記録」朝日新聞縮刷版1953年7月p209
  20. ^ ホークス四十年史 1978, p. 362.
  21. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 722.
  22. ^ 朝日新聞1953年8月10日5面「近鉄、延長20回で勝つ 中原(南海)無四球の好投」朝日新聞縮刷版1953年8月p113
  23. ^ 朝日新聞1953年8月21日5面「栄冠三たび松山へ 延長13回 初陣の土佐、力闘空し」朝日新聞縮刷版1953年8月p245
  24. ^ チームヒストリー 1953”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト. 2015年11月14日閲覧。
  25. ^ セリーグHistory Archived 2013年11月19日, at the Wayback Machine. セ・リーグ公式サイト
  26. ^ a b パシフィック・リーグ略史(1949年〜2000年)”. パシフィック野球連盟公式サイト. 2015年11月14日閲覧。
  27. ^ 巨人軍歴史新聞編纂委員会 編 『巨人軍歴史新聞 1934-2000栄光の球団史を発掘スクープ 2000年優勝記念号』日本文芸社、2000年、25頁。ISBN 453725016X 
  28. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 593.
  29. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 435.
  30. ^ 阪神タイガースヒストリー 1950-1954”. 阪神タイガース公式サイト. 2015年11月14日閲覧。
  31. ^ a b 宇佐美徹也 1993, p. 135.
  32. ^ a b ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2011年11月、62頁。 
  33. ^ 巨人軍歴史新聞 2000, p. 27.
  34. ^ ベースボール・マガジン 1953年11月号・12月号
  35. ^ ホークス四十年史 1978, p. 62.
  36. ^ ドラゴンズ70年史 2006, p. 521.