ヤコブ・ベルヌーイ

スイスの数学者 (1654 - 1705)

ヤコブ・ベルヌーイ(Jakob Bernoulli、ユリウス暦1654年12月27日 - グレゴリオ暦1705年8月16日[1])は、スイス数学者・科学者。ヤコブ、ジャック、あるいはジェームス・ベルヌーイとしても知られる。

ヤコブ・ベルヌーイ
生誕 1654年12月27日
スイスの旗 スイス バーゼル
死没 (1705-08-16) 1705年8月16日(50歳没)
スイスの旗 スイス バーゼル
研究分野 数学
研究機関 バーゼル大学
出身校 バーゼル大学
博士課程
指導教員
ニコラ・ド・マルブランシュ
博士課程
指導学生
ヨハン・ベルヌーイ
主な業績 ベルヌーイ数
べき乗和の公式
ベルヌーイ試行
ベルヌーイ過程
転送作用素
ベルヌーイ分布
大数の法則
ベルヌーイの不等式
ベルヌーイのレムニスケート
影響を
受けた人物
ゴットフリート・ライプニッツ
補足
プロジェクト:人物伝
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ベルヌーイ家の中でも最も卓越した数学者の一人であり、微分積分学の発展に寄与した。弟はヨハン・ベルヌーイスイスバーゼルの生まれ。

生涯

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ヤコブ・ベルヌーイは、1676年に英国に旅した折にロバート・ボイルロバート・フックに会い、その後、科学と数学の研究に一生を捧げることになった。

1682年からはバーゼル大学で教鞭を執り、1687年には同大学の数学の教授に就任する。

彼は、ゴットフリート・ライプニッツと交流をもちライプニッツから微積分を学び、弟のヨハンとも共同研究を行う。彼の初期の業績である超越曲線 (1696) とisoperimetry (1700, 1701) はこの共同作業がもたらした成果である。対数螺旋伸開線および縮閉線は自分自身に一致することを示した。

Ars Conjectandi, Opus Posthumum (推測法、1713)は、彼の確率論の偉大な貢献である。ベルヌーイ試行ベルヌーイ数はこの著作から、彼の功績を記念して名づけられた。

脚注

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関連項目

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