ラピド (Rapido) はスペイン海軍仮装巡洋艦。元は1889年に建造されたハンブルク・アメリカラインen)の客船「コロンビア (SS Columbia)」であり、1898年米西戦争で仮装巡洋艦とするためスペイン海軍が購入した[1]。そして、武装され「ラピド」と改名されて、アメリカアジア艦隊撃破と4,000名のフィリピンへの増援部隊輸送の任を負ったManuel de Camara少将率いるフィリピン救援部隊の一員となった[2]。Camaraの戦隊は戦艦ペラヨ」、装甲巡洋艦エンペラドル・カルロス5世」、仮装巡洋艦「Patiota」、駆逐艦アンダズ」、「オサド」、「プロセルピナ」、輸送船「ブエノスアイレス」、「パナイ」、「アルフォンソ12世」、「アントニオ・ロペス」、給炭艦4隻と「ラピド」で構成され、1898年6月16日にカディスから出撃した[3]

戦隊は1898年6月17日にジブラルタルを通過し[4]カリブ海へ単独で向かう「アルフォンソ12世」、「アントニオ・ロペス」は分離された。)、1898年6月26日にエジプトのポートサイドに到着[5]。Camaraは石炭積み替えの許可を求めたが、エジプトの中立に対する懸念からそれは6月30日に不許可となった[5]

Camaraの戦隊は1898年7月5日にスエズに着いたが[6]、そのときすでにパスクワル・セルベラ中将の艦隊はサンチャゴ・デ・キューバ海戦で殲滅され、サンチャゴ・デ・キューバを封鎖していたアメリカ艦隊が自由になっていた。スペイン沿岸の安全に対する不安から1898年7月7日にスペインの海軍大臣はCamaraの戦隊を呼び戻した[7]。そして、戦隊は1898年7月17日にスエズを離れてスペインへ向かい、1898年7月25日に戦隊は解散した8[8]

1898年8月に戦争が終結すると、「ラピド」は民間船に戻った。日露戦争中にはロシア海軍の仮装巡洋艦「テレク」となった。

1907年解体[1]

脚注 編集

参考文献 編集

  • Cervera Y Topete, Pascual. Office of Naval Intelligence War Notes No. VII: Information From Abroad: The Spanish-American War: A Collection of Documents Relative to the Squadron Operations in the West Indies, Translated From the Spanish. Washington, D.C.: Government Printing Office, 1899.
  • Nofi, Albert A. The Spanish-American War, 1898. Conshohocken, Pennsylvania:Combined Books, Inc., 1996. ISBN 0938289578.

外部リンク 編集