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地理編集

ロワール川サルト川の支流)谷に位置する。グリニッジ子午線上にある。

ル・マンアンジェの中間にある。

歴史編集

 
17世紀のコレージュ・ラ・フレーシュ
 
中心部の眺め

ラ・フレーシュという名の起源は明らかでない。歴史家ジャック・テルモーは、大地に置いた石から、古いラテン語fixa(フランス語でfichée、置く)に関連するとみなしている。したがって、ラ・フレッシュはメーヌ地方の町とアンジュー地方の町との境界であったことになる。古い巨石の境界は昔の写本に記されたようなFixaの名を与えた。後にFixa andegavorumと呼ばれたが、これはアンジュー地方の境界であったことを意味する。

中世のラ・フレーシュは、アンジュー司教座の教区であった。

1343年、フィリップ6世によって塩が国家の独占品となり、塩税が設置された。アンジューは塩税の高い地方で、ラ・フレーシュは16箇所ある塩貯蔵所の1つとなっていた。アンシャン・レジーム期、ラ・フレーシュはアンジューのセネシャル(sénéchaussée angevine、セネシャルとは直訳すると執事長)のもとにあった。

1603年、アンリ4世の友であったラ・フレーシュ領主ギヨーム・フーケ・ド・ラ・ヴァレンヌは、アンジュー地方の町の機能多様化と美化に貢献した。アンリ4世が設立した神学校は、イエズス会に運営が託された。1762年にイエズス会が追放されると、1764年に神学校はパリのエコール・ミリテール(士官学校)の準備学校である陸軍幼年学校となった。

17世紀、ラ・フレーシュ人たちはジェローム・ル・ロワイエ(fr)の指揮の元でモントリオール建設に参加した。

1790年、フランスに県制度が新設され、ラ・フレーシュを含むアンジュー北東部はサルト県となった。ヴァンデ戦争中の12月8日、ラ・フレーシュの戦いでコミューンはヴァンデ軍に襲われた。

見所編集

  • ラ・フレーシュ陸軍幼年学校(fr
  • カルム城
  • ラ・フレーシュ動物園 - 1946年創設。フランス最古の私立動物園
  • フーケ・ド・ラ・ヴァレンヌ邸
  • モンヌリー浜 - ロワル河岸の蛇行地点にある湖沼と野原。

姉妹都市編集