リオ・トゥルビオ鉱山鉄道100型蒸気機関車

リオ・トゥルビオ鉱山鉄道100型蒸気機関車(リオ・トゥルビオこうざんてつどう100がたじょうききかんしゃ)はアルゼンチンリオ・トゥルビオ鉱山鉄道スペイン語版向けに日本の新三菱重工業(現・三菱重工業)が製造した蒸気機関車。日本が製造した最後の大型蒸気機関車で、リビオ・ダンテ・ポルタが改良した記念すべき車両でもある。

リオ・トゥルビオ鉱山鉄道
100型蒸気機関車
Porta and crew with RFIRT's Santa Cruz loco-1959.jpg
110号機[注釈 1]とリビオ・ダンテ・ポルタ
(右から3番目、1959年ごろ)
RFIRT 2-10-2 No 109 at Rio Turbio.jpg
石炭を積んだ貨車を入れ替えする109号機
(1996年)
基本情報
製造所 新三菱重工業(三原製作所)
形式 100
車両番号 前期型 : 101 - 110
後期型 : 111 - 120
製造年 前期型 - 1956年
後期型 - 1964年
製造数 20両
前期型 - 10両
後期型 - 10両
主要諸元
軸配置 2-10-2
軌間 750 mm
車体長 18185 mm
先頭の牛除け部分は除く
車体幅 2600 mm
2372 mm(炭水車)
機関車重量 48 t
シリンダ数 2
シリンダ
(直径×行程)
419 mm×441.3 mm
備考 出典は[1]より。
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誕生までの経緯編集

リオ・トゥルビオ鉱山鉄道はフォークランド諸島と同じ緯度に位置し、石炭リオ・ガジェゴス港まで運ぶ全長225 km、750ミリ軌間鉱山鉄道である。

1950年代当時、ここにはドイツヘンシェル社製の車輪配置 2-8-2(ミカド)タイプ蒸気機関車が8両在籍していたが、中古のうえに、熱量が低くクリンカー(燃えカス)のできやすい石炭のため輸送力が低かった。

この状況を改善するため、同鉄道は同国中部から北部にかけて展開されている、メーターゲージベルグラーノ将軍鉄道スペイン語版において運用されていた、チェコスロバキアシュコダ社製車輪配置 2-10-2英語版(サンタフェ)タイプの蒸気機関車が大きな成功を収めたことを踏まえ、新型蒸気機関車の国際入札を実施。結果はヘンシェルと日本車輌製造を押さえて三菱が競り勝ち、製作は三原製作所が担当することになった。

構造編集

寸法は上記のベルグラーノ将軍鉄道のシュコダ製のものを基礎に約70%に縮小したもので、火室は燃焼室付きベルペア式。容積3.54立方 m、火格子は羽口付ハルソン式。主台枠はブロークンフレーム。当初は940馬力を予定していたが、前記した炭質の低さから700馬力に留まっている。

改良編集

1957年に、リビオ・ダンテ・ポルタが同鉄道のゼネラル・マネージャーとして委任されたときに、彼はこの機関車にキルポワエキゾーストとラ・アルヘンティーナで取り付けたGPCS(ガス化燃焼システム)を取り付けるなど改造を行い、1200馬力に向上させた。牽引定数は従来の800トンから、1200 - 1500トンに増大した。

これをもとに新三菱重工は増備分をポルタの改造した仕様にして製造輸出した。鉄道歴史研究家の斎藤晃は、この機関車を改造したポルタの技術が日本国内の国鉄蒸気機関車に反映されなかったことを著書の中で嘆いている[要文献特定詳細情報]。その一方で同じく鉄道研究家の高木宏之はポルタの技術はもちろん、その高出力に耐えた三菱の構造設計も高く評価した[要出典]。 なお、GPCSは狭軌では南アフリカ国鉄26型蒸気機関車、標準軌では中国国鉄前進型蒸気機関車に取り付けられたがどちらも失敗に終わっており、仮に反映されたとして役に立ったかどうかは不明である。

運用編集

これらの機関車は鉄道の経営者が交代し、ブルガリアおよびソビエト連邦製のディーゼル機関車が中古で導入される1997年まで石炭の輸送に稼働した。

保存機編集

2004年に1両がレストアされて観光用に運転をしているほか、数両が解体されずにリオ・ガジェゴスで廃車体として屋外で保管されている。

写真編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 「サンタクルス」という愛称が付けられている。
  2. ^ 「アンドレ・シャプロン」の名称が付けられている。

出典編集

  1. ^ RFIRT Mitsubishi 2-10-2 Locomotives – by Shaun McMahon - 2004 - Advanced-steam - 2004年作成・2020年5月31日閲覧

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集