リチャード・ベッドフォード・ベネット
カナダの首相
初代ベネット子爵リチャード・ベッドフォード・ベネット(Richard Bedford Bennett, 1st Viscount Bennett、1870年7月3日 - 1947年6月26日)は、カナダの政治家。保守党の党首を務め、1930年から1935年までカナダ首相の地位にあった。
リチャード・ベッドフォード・ベネット Richard Bedford Bennett | |
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生年月日 | 1870年7月3日 |
出生地 | カナダ、ニューブランズウィック州アルバート郡ホープウェル |
没年月日 | 1947年6月26日(76歳没) |
死没地 | イギリス、サリー州マイクルハム |
所属政党 | 保守党 |
第15代首相 | |
在任期間 | 1930年8月7日 - 1935年10月23日 |
生涯
編集1870年、ニューブランズウィック州アルバート郡のホープウェルに生まれた。教師、弁護士を経て、1909年よりアルバータ州の下院議員となり、1911年にカナダ連邦の下院議員となった。1921年に法相、1926年に財相を務め、1927年には保守党党首となった。1930年、マッケンジー・キング(自由党)から政権を奪い、第15代首相に就任した。
ベネットが政権を獲得した背景には、当時の世界恐慌に対する自由党政権への不満があった。ベネットは従来までの自由放任政策を批判し、雇用の創出を公約していた。政権獲得後は、「イギリス帝国」内での経済的な結びつきを強めようと、オタワ会議(帝国経済会議)を主導した。しかし、こうした試みも各国の足並みがそろわず、成功とはいえないものであった。
1935年より、アメリカ合衆国にならって、カナダ版の「ニューディール」に着手した。しかし、強権的な中央政府による経済統制は、州政府や民間企業の反発を招いた。それまでの不況対策がさほど実を結ばなかったこともあり、同年の選挙でマッケンジー・キングが政権を奪回した。こうして「ニューディール」は短期間で挫折した。
1938年に政界を引退したのち、イギリスに渡り、そのままイギリスに永住した。
1945年から1947年まで科学技術産業振興協会(王立技芸協会)会長を務めた[1]。
1947年にサリー州のマイクルハムで死去した。
出典
編集- ^ "Orbituary". Journal of the Royal Society of Arts (英語). XCV (4747): 560.
参考文献
編集- 木村和男編『新版世界各国史23 カナダ史』 山川出版社、1999年
職能団体・学会職 | ||
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先代 エドワード・フランクランド・アームストロング |
科学技術産業振興協会会長 1945年 – 1947年 |
次代 エディンバラ公爵夫人 |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | ベネット子爵 1941年 – 1947年 |
廃絶 |