ルイ1世 (モンパンシエ伯)
ルイ1世・ド・ブルボン(Louis Ier de Bourbon, comte de Montpensier, 1405年 - 1486年)は、フランス王家傍系ブルボン家の公子。モンパンシエ伯。最初の結婚によりオーヴェルニュのドーファンならびにクレルモン=アン=オーヴェルニュ伯、サンセール伯となった。第1ブルボン=モンパンシエ家の始祖にあたる。「善良なルイ(Louis le bon)」と呼ばれた。
ルイ1世・ド・ブルボン Louis Ier de Bourbon | |
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モンパンシエ伯 | |
ブルボン=モンパンシエ家の紋章 | |
在位 | 1434年 - 1486年 |
出生 |
1405年 |
死去 |
1486年 教皇領、ローマ |
埋葬 | フランス王国、エグペルス |
配偶者 | ジャンヌ1世・ドーヴェルニュ |
ガブリエル・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ | |
子女 |
ジルベール ジャン ガブリエル シャルロット |
家名 | ブルボン=モンパンシエ家 |
父親 | ブルボン公ジャン1世 |
母親 | マリー・ド・ベリー |
生涯
編集ブルボン公ジャン1世とその妻のオーヴェルニュ女公マリー・ド・ベリーの間の三男として生まれた[1]。1428年、オーヴェルニュのドーフィヌ・ジャンヌ1世と最初の結婚をした。1436年にジャンヌが死んだ後も、ルイは結婚によって帯びた称号を保持した[2]。ルイの父方の祖母アンヌがジャンヌの同族の伯母であり、このためルイはオーヴェルニュ・ドーファン家の血を引いてもいた。
1442年、オーヴェルニュ伯ベルトラン5世の娘ガブリエルと再婚し、間に4人の子女をもうけた。
- ジルベール(1443年 - 1496年)[1] - モンパンシエ伯
- ジャン(1445年 - 1485年)
- ガブリエル(1447年 - 1516年) - 1485年、タルモン公ルイ2世・ド・ラ・トレモイユと結婚
- シャルロット(1449年 - 1478年) - 1468年、グランプレ伯ウォルフェルト6世・ファン・ボルセレン(フランス元帥)と結婚
脚注
編集- ^ a b Ward, Prothero & Leathes 1911, table 25.
- ^ The Biographical Dictionary, Vol 4, p. 234.
参考文献
編集- The Biographical Dictionary. Vol 4,. London: Longman, Brown and Green. (1844)
- Ward, A.W.; Prothero, G.W.; Leathes, Stanley (1911). The Cambridge Modern History. XIII. Cambridge at the University Press
関連項目
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