ルドルフ・ブリスケ(Rudolf Briske、1884年7月 - 没年不詳)は、大正時代の日本で活躍したドイツ鉄道技術者である。姓はブリスクとも表記される。

ルドルフ・ブリスケ

経歴・人物 編集

ブレスラウ(当時はドイツ領、現在はポーランドドルヌィ・シロンスク県の県都でポーランド語ヴロツワフと改称されている)の生まれ。ベルリン大学卒業後、ベルリン高速度鉄道会社に勤務し、後にシーメンス・バウ・ユニオン会社ドイツ語版に転勤する。

1923年(大正12年)同社の東京営業所からの依頼により来日し、主任となった。翌年東京地下鉄道に雇われ、早川徳次古市公威野村龍太郎らと共に浅草上野間(現在の東京メトロ銀座線)の設計に携わった。同時に日本で初の外国人地下鉄技師となり、一躍有名となった。

1927年昭和2年)任期満了により帰国した。帰国後はシーメンス・バウ・ユニオン会社の技師長等を務めた。

出典 編集

外部リンク 編集

  • 鉄道人物伝 (PDF) - ルドルフ・ブリスケ、早川徳次らの写真が掲載されている。