レオナルド・ウインニンクス

オランダ東インド会社の人物

レオナルド・ウインニンクス(Leonard WinninxまたはLendert Winning、1616年 - 1691年10月29日)は、オランダ東インド会社の社員で第23代のオランダ商館長

略歴 編集

ウインニンクスは1616年アムステルダムに生まれた。東インド会社ではガムロンに勤務し、1645年にはエスファハーンへの大使も務めた。1647年にバタヴィアの港湾局長であったWonderaer Sebaldの娘と結婚している。1653年にはバンダ諸島勤務となり、翌1654年には出島のオランダ商館長に任じられた。1655年にバタヴィアの東インド会社本社に戻った。1656年にジャンビ(Jambi)に異動、1657年にはスラート(Surat)に責任者となった。1662年にはゼーランディア城陥落におけるフレデリック・コイエットの責任を問う裁判に参加している。1664年1月にアムステルダムのシンゲル運河(Singel)沿いに家を購入した。1672年に聖ペトロ病院の理事に就任。1691年10月29日に死亡。

東インド会社の総督となったCornelis Speelmanは弟である。

参考資料 編集

Wijnaendts van Resandt (1944) De gezaghebbers der Oost-Indische Compagnie op hare buiten-comptoiren in Azië, p. 279-280.

先代
ガブリエル・ハッパルト
オランダ商館長(第23代)
1654年10月31日 - 1655年10月23日
次代
ヨアン・ボウヘリヨン