レジェーレ・フェルディナンド級駆逐艦

レジェーレ・フェルディナンド級駆逐艦(レジェーレ・フェルディナンドきゅうくちくかん、ルーマニア語:Distrugător din clasa Regele Ferdinandディストゥルガトル・ディン・クラサ・レジェーレ・フェルディナンド)は、ルーマニア海軍駆逐艦Distrugător)である。

レジェーレ・フェルディナンド級駆逐艦
基本情報
艦種 駆逐艦
命名基準 ルーマニア王国の王族
建造所 イタリアナポリ パティソン社
運用者 Flag of Romania.svg ルーマニア王国海軍
Naval Ensign of the Soviet Union (1924-1935).svg 赤色海軍
Naval Ensign of the Soviet Union (1950–1991).svg ソ連海軍
Flag of ships of the Naval Force of Romania (1952-1965).svg ルーマニア人民共和国海軍
建造期間 1928-1930
就役期間 1930-1960
同型艦 2
計画数 2
建造数 2
前級 マラシュティ級駆逐艦
要目
排水量 1,850t(満載)/1,400t(常備)
全長 101.9m
9.6m
吃水 3.5m
機関方式 蒸気タービン2 基
主缶 ソーニクロフト缶4基[1]
主機 パーソンズ式ギアードタービン2基2軸[1]
出力 44,000hp
速力 36 kt
航続距離 13kn/2,739海里
乗員 212 名
兵装
  • 竣工時:[1]
  • ボフォース 120mm(50口径)単装砲×5門
  • ボフォース 76.2mm単装高角砲×1門
  • ボフォース 40mm単装機関砲×4門(2門)[2]
  • 533 mm3連装魚雷発射管×2 門
  • 機雷×50発
出典[3]、他出典引用時は別途記載
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建造編集

レジェーレ・フェルディナンド級駆逐艦は、ルーマニア王国海軍向けの第一次世界大戦後初の本格的な駆逐艦として建造された。前級のマラシュティ級駆逐艦に続きイタリアナポリのパティソン社へ発注されたが、同社がイギリスの造船所と繋がりがあったこともあり、設計はソーニクロフト社が担当した。シェイクスピア級駆逐艦を元に設計されており、艦型はイギリス式に近いものとなっている。同型艦は2隻で共に1927年にパティソン造船所にて起工、1930年に就役した[1]

武装編集

ボフォース社製120 mm50口径単装砲を艦橋前に背負式で2門、後部煙突後ろに1門、艦後部に背負式で2門の合わせて5門を搭載した。対空兵装としても同様にボフォース社製の76.2mm単装高角砲1門と40mm単装機関砲を2門もしくは4門有していた[2]射撃管制装置としては前後の砲塔用にシーメンス社製測距儀が備え付けられていた。魚雷はルーマニア海軍では初めて533mmを採用し、3連装魚雷発射管を2基装備した。また、機雷も50発搭載している[1]

1939年には40mm機関砲をドイツのラインメタル社製37mm単装機関砲2門とオチキス社製13.2mm機銃に換装し、イタリア式の爆雷投射機を2基搭載した。その後は76.2mm単装高角砲を撤去して20mm単装機銃を4門搭載し、1944年には1番砲塔を撤去して88mm高角砲を装備している[1]

機関編集

機関配置は梯型としており、前級の直結式からパーソンズ式一段減速ギアードタービンとなった。製造はトリエステにあるテクニコ・スタビリメント社が担当し、公試では38ノットを記録している[4]

艦歴編集

ルーマニア王国海軍編集

レジェーレ・フェルディナンド級の2隻は前級のマラシュティ級駆逐艦2隻(マラシュティマラシェシュティ)とともにルーマニア海軍の駆逐艦隊を編成した。 第二次世界大戦中は赤色海軍黒海艦隊への積極的な攻勢に運用されず、主にボスポラスからコンスタンツァ、そこからクリミア間を行き来する船団の護衛任務に従事した。なお、1941年11月にはレジェーレ・フェルディナンドがルーマニア沿岸でソ連潜水艦M45を撃沈している[4]。 これらの駆逐艦が戦時中に失われることはなかったが、拠点としていたコンスタンツァに侵攻してきた赤軍によって1944年8月29日に捕獲された。

ソ連海軍編集

9月14日にルーマニアが降伏すると、レジェーレ・フェルディナンド級は戦利艦として正式にソ連の所有物となり、赤色海軍黒海艦隊に編入された。艦名はロシア語の名称に改められ、これに伴い艦級名もリホーイ級駆逐艦Эскадренные миноносцы типа Лихойエスカードリェンヌィイェ・ミナノースツィ・チーパ・リホーイ)となった。

ルーマニア人民共和国海軍編集

リホーイ級は1953年にルーマニアに返還された。その際艦名はそれぞれD22D21に再改名された。その後は更にD10D9と変更されたが、1960年に退役した[4]

同型艦編集

[1]

艦名 起工 進水 竣工 ソ連時代の名称 退役
レジェーレ・フェルディナンド
Regele Ferdinand
1927年 1928年12月2日 1930年9月7日 リホーイ
Лихой
1960年代
レジーナ・マリーア
Regină Maria
1927年 1929年3月2日 1930年9月7日 レトゥーチイ
Летучий
1960年代

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g #ホイットレー p.225
  2. ^ a b #ホイットレー p.225では注記として、ルーマニア側資料では4門、実際の装備を2門としている
  3. ^ Conway's All the World's Fighting Ships 1922–1946, p. 361
  4. ^ a b c #ホイットレー p.226

参考文献編集

  • M.J.ホイットレー『第二次大戦駆逐艦総覧』岩重多四郎(訳)、大日本絵画、2000年。ISBN 4-499-22710-0

関連項目編集

外部リンク編集