パディ・ロイ・ベーツ
パディ・ロイ・ベーツ(Paddy Roy Bates、1921年8月29日 - 2012年10月9日)は、元イギリス陸軍少佐でシーランド公国の建国者。自らはロイ・ベーツ公(H.R.H. Prince Roy, The Prince of Sealand)を名乗っていた。
パディ・ロイ・ベーツ Paddy Roy Bates | |
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生誕 |
1921年8月29日 イングランド ロンドン、イーリング |
死没 |
2012年10月9日(91歳没) イングランド エセックス、リー・オン・シー |
所属組織 | イギリス陸軍 |
最終階級 | 少佐 |
除隊後 |
海賊放送業者 シーランド大公 |
来歴
編集海賊放送業者
編集1921年にロンドンに生まれる。イギリス陸軍に入隊し、第二次世界大戦では第8軍に所属し北アフリカ戦線、モンテ・カッシーノの戦いに従軍した[1]。戦後は陸軍を退役し、漁師となった[2]。
1965年、海上トーチカのマンセル要塞の一つ「ノック・ジョン・タワー」を占拠していた海賊放送のスタッフを追い出し、残されたアメリカ空軍のラジオビーコンを使用し、海賊放送「ラジオ・エセックス」を開業した[3]。翌1966年10月、無線電信法違反で100ポンドの罰金支払い命令を受けた後、局名を「ブリティッシュ・ベター・ミュージック・ステーション(BBMS)」に改名した。その後もベーツは営業を続けるが、資金不足により12月25日に放送を停止した[2][4]。
シーランド大公
編集ロイ・ベーツ H.R.H. Prince Roy, The Prince of Sealand | |
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シーランド大公 | |
在位 | 1967年9月2日 - 2012年10月9日 |
全名 |
パディ・ロイ・ベーツ Paddy Roy Bates |
出生 |
1921年8月29日 イングランド ロンドン、イーリング |
死去 |
2012年10月9日(91歳没) イングランド、エセックス、リー・オン・シー |
配偶者 | ジョアン |
子女 |
マイケル ペネロペ |
家名 | ベーツ家 |
王室歌 | 海からの自由 |
父親 | ハリー |
母親 | リリアン |
シーランド建国
編集放送停止後、ベーツはイギリス領海外にある「ラフス・タワー」に移動したが、その後も放送は停止したままだった[2]。1967年8月14日に海洋放送法が施行され、マンセル要塞からのラジオ放送が禁止された[5]。海洋放送法施行の19日後の9月2日、ベーツは「ラフス・タワー」の独立を宣言しシーランド公国を建国した[6]。
1968年、海賊放送「ラジオ・キャロライン」のローラン・オライリーがシーランドの占拠を試み、これに対し火炎瓶と拳銃で応戦し阻止した。その際、騒ぎを聞き駆け付けたイギリス海軍に対し、息子のマイケル公太子が「シーランドへの領海侵犯」として警告射撃したためベーツ父子は逮捕された[6]。
逮捕後、ベーツ父子は不法占拠の罪で訴えられるが、イギリスの裁判所は「シーランドはイギリスの領海外であり、かつ、今まで領有権を主張してこなかった」ためイギリス司法の管轄外として父子を釈放した[6]。裁判所の判断を受け、ベーツは「イギリスがシーランドの主権を認めた」と主張し、1975年には憲法・国旗・国歌を制定した[7][8]。
クーデター
編集1978年8月、カジノを開設するためドイツ人投資家のアレクサンダー・アッヘンバッハを招き首相に任命した。しかし、アッヘンバッハはクーデターを画策し、ベーツ夫妻がイギリスに滞在していた隙に数名の仲間と共にシーランドを襲撃し、マイケルを人質とした[9]。これに対し、ベーツは陸軍時代の人脈を活用し、20名の有志を引き連れヘリコプターでシーランドに乗り込みクーデターを鎮圧した。
ベーツはクーデターに参加したドイツ人・オランダ人を解放したが、シーランドのパスポートを所有していたアッヘンバッハに対しては、シーランドの国家反逆罪を適用し罰金75,000マルクの支払いを命じた[10][11]。西ドイツはイギリスに即時釈放を求めたが、「シーランドはイギリスの主権外地域」と回答されたため、シーランドに外交官を派遣し釈放を求めた[6]。ベーツは西ドイツの対応を「西ドイツがシーランドを国家として承認した証」と判断し、アッヘンバッハの釈放に応じた(西ドイツはシーランドの国家承認を否定している)[12]。
死去
編集晩年はイギリスに隠棲し、シーランドの管理は摂政公太子のマイケルが引き継いだ(ただし、マイケルもイギリスに在住している)[6]。
2012年10月9日、アルツハイマー型認知症を患っていたベーツはリー・オン・シーにある高齢者福祉施設で死去した[13]。サウスエンド=オン=シーで葬儀が執り行われた[14]。
脚注
編集- ^ Bannister, Matthew. BBC Radio 4, Friday, 26 October 2012.
- ^ a b c Edwards, Chris; Parkes, James (19 October 2000). "Radio Essex" and "Britains Better Music Station". Off Shore Echoes. Retrieved 11 May 2011
- ^ Frank Jacobs (20 March 2012). “All Hail Sealand”. The New York Times
- ^ “Prince Roy of Sealand”. The Daily Telegraph (London). (11 October 2012)
- ^ "Marine, &c., Broadcasting (Offences) Act 1967". The National Archives. Retrieved 11 May 2011
- ^ a b c d e Ryan, John; Dunford, George; Sellars, Simon. Micronations: The Lonely Planet Guide to Home-Made Nations, Lonely Planet Publications, 2006, p. 9-12.
- ^ Helen Nugent (8 January 2007). "World's tiniest country seeks new owners to fly the flag". The Times. Times Newspaper Ltd.. Retrieved 11 May 2011.
- ^ "Initial Challenge to Sealand's Sovereignty" Archived 2011年7月18日, at the Wayback Machine.. Official Website of Sealand. Retrieved 11 May 2011
- ^ John Ryan, George Dunford & Simon Sellars (2006). Micronations. Lonely Planet. p. 11. ISBN 1-74104-730-7.
- ^ Strauss, Erwin. How to Start Your Own Country, Paladin Press, 1999, p. 132, cited in admin (20 September 2008). "A Brief History of Sealand". Historia Infinitas. Retrieved 11 May 2011
- ^ “Attempt to free captive from private 'island' fails”. The Times: p. 3. (5 September 1978)
- ^ Bermingham, Finbarr (5 April 2011). "An Interview with Prince Michael of Sealand". Scrawls and Bawls. Retrieved 11 May 2011
- ^ 'Prince Roy of Sealand' Roy Bates Dead at 91 ABC News 2012年10月11日閲覧
- ^ “'Prince of Sealand' Roy Bates dies in Essex”. BBC. (10 October 2012) 10 October 2012閲覧。