ヴァレリー・ブラッティ

ヴァレリー・ブラッティ(Valery Burati、1907年4月12日 - 1988年7月20日)は、アメリカ合衆国労働経済学者軍人である。

ヴァレリー・ブラッティ
生誕 1908年4月12日 ウィキデータを編集
死没 1988年7月18日 ウィキデータを編集 (80歳)

経歴・人物 編集

オーストリアチロル地方出身。後に渡米して帰化し、ベイツ大学人文学を学ぶ。卒業後の1932年に「スプリングフィールド・ユニオン」に就職し、新聞記者となる。後にニューイングランド新聞ギルド評議会の議長となり、最高情報責任者となった。

後に軍の道を開き、第二次世界大戦陸軍大尉として従軍した。1945年昭和20年)に日本に進駐し、帰国を挟んで戦後の1948年(昭和23年)に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)経済科学局労働担当官となった。在職中は滝田実への書簡を送った事で、1950年(昭和25年)7月には総同盟の結成や批判に携わる等、労働改革に貢献した。

1951年(昭和26年)に帰国した後にアメリカ国務省に入省し、フィリピンでの派遣使節団の結成に携わった。1961年から1973年の退職まではアフリカ諸国の主任等を歴任した。

出典 編集