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ヴィクトル・コチュベイ

ヴィクトル・パヴロヴィチ・コチュベイロシア語:Виктор Павлович Кочубейヴィークタル・パーヴラヴィチュ・カチュビェーイラテン文字表記の例:Viktor Pavlovich Kochubey、1768年 - 1834年)は、帝政ロシア貴族政治家

概要編集

イヴァン・マゼーパとの対立で有名なウクライナの貴族であったヴァスィーリ・コチュベイは曽祖父に当たる。参事官としてロンドンパリの在外公館勤務を経て、在オスマン帝国公使となった。1798年に外交官養成大学の学長となり、翌年、伯爵位を叙爵されるが、皇帝パーヴェル1世によって追放される。パーヴェルが暗殺され、アレクサンドル1世が即位すると、治世当初、皇帝の「若き友人」の一人として改革を企図し皇帝の非公式な諮問機関である秘密委員会に参加した。1801年から1802年まで外務大臣、1802年に内務大臣に転じ、1812年に一時、職を離れるが、1819年に再び内相となり、1825年まで務めた。1827年国家評議会議長、大臣委員会議長となり、1834年公爵クニャージ)となり、帝国宰相となった。

先代:
アレクサンドル・ベズボロドコ
ロシア帝国宰相(臨時)
1799年
次代:
ニキータ・パーニン(臨時)