ヴェラ・バラノフスカヤ

帝政ロシア時代の映画俳優

ヴェラ・バラノフスカヤロシア語: Барановская, Вера Всеволодовна/英語: Vera Baranovskaya、1885年 - 1935年12月7日)は、帝政時代のロシアの女優。ドイツチェコスロバキアで撮影された映画やロシアの劇場で有名な女優

ヴェラ・バラノフスカヤ
Vera Baranovskaya
Vera Baranovskaya
生年月日 1885年
没年月日 1935年12月7日
出生地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国 サンクトペテルブルク
死没地 フランスの旗 フランス共和国
国籍 ロシア帝国の旗 ロシア帝国
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ドイツの旗 ドイツ国
職業 女優
活動期間 1916年 - 1935年
活動内容 映画俳優
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来歴 編集

1885年、サンクトペテルブルク生まれ。

ヴェラは1903年から1915年までコンスタンチン・スタニスラフスキーモスクワ芸術座で演技指導を受けた。1916年、ヴェラは『Власть первого(ひとつの灯り)』で映画デビューし、この年5本の映画で主演。この頃のヴェラを象徴するのは1911年から1913年の間に撮影された『Каталоге сохранившихся фильмов(生き残った映画のひつ)』、『Заря русской революции(ロシア革命の夜明け)』であるとされる。1915年から1922年かけて、ハルキウキエフオデッサトビリシカザンの劇場を転々とした。1922年、モスクワで映画劇団「Мастбар」を設立。1920年代後半には、映画において重要な役割を演じた。それは、どちらもフセヴォロド・プドフキンが監督したリアルな母を演じた1926年の『Мать(母)』、働く女性を演じた1927年の『Конец Санкт-Петербурга(サンクトペテルブルクの最後)』で、帝政ロシア末期の映画の中で最も印象的な女性像を演じた[1]

1928年、ベルリンプロレタリア映画会社「プロメテウス」は、『Путь пролетарки(プロレタリキの道)』で主演をしていたヴェラを招待した。プロメテウスはドイツを出て、チェコ映画では初めての音声映画である1930年の『Тонка-Виселица(トンカ・ハングマン)』、歴史的な叙情詩作家を描いた同年の『Святой Вацлав(聖ヴァーツラフ)』をチェコスロバキアで撮影した。『Святой Вацлав』の成功でヴェラはドイツとフランスで撮影を申し入れされた[2]

ヴェラの最高傑作はドイツ映画の1929年のミハエル・ドブソン監督による『Ядовитый газ(有毒ガス)』、1930年のゲオルギ・アサガロフ監督による『Бунт в воспитательном доме(教育の家での暴動)』といわれる。その後、1932年にフランスへ移り住み、1935年に死去した[1]

出演作品 編集

脚注 編集

外部リンク 編集