七つの子』(ななつのこ)は、日本の童謡である。作詞・野口雨情、作曲・本居長世[1][2]1921年、童謡・童話雑誌『金の船』(キンノツノ社)に発表された。

概要

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『金の船』大正十年七月号(1921年7月1日付発行)の歌詞掲載ページ。同誌の挿絵などを担当し野口と親交が深かった岡本帰一による7羽のカラスの絵とともに掲載されている。

野口雨情が1907年1月に刊行した月刊民謡集「『朝花夜花』第一輯」(早稲田詩社)に発表した詩「山烏(やまがらす)」をもとに改作し、童謡・童話雑誌『金の船』の21曲目の曲譜付き童謡として「大正十年七月号」(1921年7月1日付発行)に本居長世作曲の曲譜とともに発表した童謡である[3]

当時野口は『金の船』編集主幹の斎藤佐次郎金の星社創業者)とともに同誌の創刊号から編集に関わり[4]、投稿童謡の選者などを務めるとともに、おもに本居とのコンビで精力的に誌上で童謡の発表を行っていた。同年には『青い眼の人形』(発表時原題『青い目の人形』)も発表している。

国民的童謡として長年親しまれ、1989年の「あなたが選ぶ日本のうた・ふるさとのうた」(「日本のうた・ふるさとのうた」全国実行委員会)では本曲が第8位を獲得した[5]2007年には文化庁日本PTA全国協議会が発表した「日本の歌百選」に選定された。

演歌歌手、北島三郎が歌唱する歌謡曲「帰ろかな」(1965年)では、間奏に本曲を組み込んだバージョンがあり、1973年以降のNHK紅白歌合戦などの歌番組で披露された。米国出身のシンガーソングライターで童謡歌手のグレッグ・アーウィンは、本曲を「Seven Little Babies」の題で英訳し、アーウィン自身の歌唱が『ハッピー・チャイルド!〜英語でうたおう こどものうた みんなのうた〜』(ビクターエンタテインメント、1997年発売)、『英語でうたう日本の童謡2』(ビクターエンタテインメント、1999年発売)の両アルバムに収録された。

『七つ』の表現について

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歌詞の「七つ」という言葉が「7羽」を指すのか「7歳」を指すのかは、度々論争の種となっている[3]。現実のカラスの生態からみれば、カラス(ハシボソガラスハシブトガラス)は一度に7羽もの雛を育てることはなく、7年も生きたカラスはもはや「子」とは呼べない[6]。また、「七つ」という言葉を「たくさん」の意味とする解釈、「七つ」という言葉を「人間の7歳の子」とする解釈も存在する[3]

『金の船』誌の作品初出号「大正十年七月号」では、「丸い目を持つ7羽の幼いカラスが並ぶ様子」を描いた岡本帰一の挿絵とあわせて野口の詩を掲載している[2]藤田圭雄の著書『日本童謡史Ⅰ』でも、これを「7羽」説の根拠の一つとしている[3]。野口は1924年に『金の星』(金の星社、1922年『金の船』改題)で発表した童謡「十(とお)と七つ」(作曲・小松耕輔)でも[7]、雁が10羽と7羽の2群に分かれて飛ぶ様子を挿絵付きで[7]「十と七つ」と表現している。

しかし、野口自身は「七つ」という言葉に対して、「必ずしも7歳という意味ではなく『幼い』という意味を含ませたもので、『言葉の音楽』として芸術味を豊かにもたせるために『七つ』とした」という趣旨を述べており[3]泉漾太郎が野口から聞いた話の中では、7羽でも7歳でも歌う側が納得すればそれでいいと答えたとしている[3]

「北茨城市野口雨情記念館」(茨城県北茨城市)では、「今でもはっきりしていません」との態度を取っている[8]

楽譜

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歌詞

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烏 なぜ啼くの
烏は山に
可愛七つの
子があるからよ
可愛 可愛と
烏は啼くの
可愛 可愛と
啼くんだよ
山の古巣へ
行って見て御覧
丸い眼をした
いい子だよ

1995年著作権消滅)

歌碑

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埼玉県久喜市童謡の小道に存在する歌碑(1974年建立、久喜青葉団地内

雨情の母校である北茨城市立精華小学校には、1961年昭和36年)に寄贈された歌碑がある[9]。歌碑自体にはひらがなを多く用いた歌詞が刻まれているが、陰に別にある副碑には原詩同様に漢字を用いて刻まれている[10]。また、和歌山県すさみ町の日本童謡の園にも歌碑がある。

録音した歌手

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替え歌

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1980年初頭、コントグループ「ザ・ドリフターズ」のメンバーでコメディアンの志村けんは、人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』(TBS)で、「カラス なぜ鳴くの カラスの勝手でしょ〜」という替え歌を歌い、当時の子どもを中心に流行した。由来については笑福亭鶴光DJを務めたニッポン放送のラジオ番組『鶴光のオールナイトニッポン・サンデースペシャル』の中の替え歌コーナーが発祥との説がある[11]

これとは別に、俳優の森繁久彌が戦後、盲学校を訪問して本曲を歌った際、その場の機転で2番の歌詞を「まるい顔した、いい子だよ」と替えたことが知られている[12]

脚注

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  1. ^ 本居長世作曲「七つの子」『金の船』大正十年七月号、p.1、キンノツノ社、1921年7月1日。
  2. ^ a b 野口雨情「七つの子」『金の船』大正十年七月号、pp.2-3、キンノツノ社、1921年7月1日。
  3. ^ a b c d e f なっとく童謡・唱歌 本居長世の童謡(1);青い眼の人形,赤い靴,汽車ぽっぽ,七つの子  池田小百合 - 2025年3月5日閲覧。
  4. ^ 「子どもの本100年 子ども達のために」『会社案内』株式会社金の星社。
  5. ^ 「『赤とんぼ』ベスト1に 後世に残す日本のうた」『読売新聞』1989年10月12日付朝刊、30頁。
  6. ^ 「七つの子」『野口雨情』、いわき湯本温泉童謡館。
  7. ^ a b 野口雨情「十と七つ」『金の星』大正十三年二月号、pp.4-5、金の星社、1924年2月1日。
  8. ^ 「七つの子」『詩人・野口雨情』北茨木市歴史民俗資料館・野口雨情記念館。
  9. ^ 北茨城市立精華小学校ホームページ
  10. ^ 『別冊太陽 子供の昭和史 童謡・唱歌・童画100』 平凡社 1993年 15頁
  11. ^ 米川明彦編『日本俗語大辞典(第3版)』東京堂出版 2006年 172頁
  12. ^ 戸板康二『ちょっといい話』文藝春秋

外部リンク

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