三菱仲15号館(みつびしなかじゅうごごうかん)は、かつて日本東京都千代田区丸の内にあった建築物である。

仲15号館
情報
用途 事務所
設計者 三菱合資会社地所部
建築主 三菱合資会社
事業主体 三菱地所
構造形式 鉄筋コンクリート構造
延床面積
※2,016坪7合5才
階数 地下1階、地上4階
高さ パラペット上端まで59尺
エレベーター数 2台
着工 1917年(大正6年)10月15日
竣工 1919年(大正8年)4月25日
改築 1961年(昭和36年)解体
所在地 東京都千代田区丸ノ内2-12
座標 北緯35度40分49.4秒 東経139度45分45.4秒 / 北緯35.680389度 東経139.762611度 / 35.680389; 139.762611 (仲15号館)座標: 北緯35度40分49.4秒 東経139度45分45.4秒 / 北緯35.680389度 東経139.762611度 / 35.680389; 139.762611 (仲15号館)
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沿革 編集

丸の内地区の大地主だった三菱合資会社東京府東京市麹町区八重洲町一丁目1番地(後の東京都千代田区丸ノ内2-12)にオフィスビルとして建設した。1917年(大正6年)10月15日に着工し、1919年(大正8年)4月25日に竣工した。

当初は久原鉱業(後の日産コンツェルン)が賃借して本社を置いていた。1924年(大正13年)には同社社員の宮長平作が個人名義で「久原工事部」の屋号で土木建築請負業を開業(後に中央土木会社となり、その後 日産土木、日産建設、りんかい日産建設となった)して事務所を置き、その後1937年(昭和12年)に建設された日産館へ移転するまで日産の本拠地となった。

第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)3月22日に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) はこのビルを接収してエデュケーション・センターおよび米軍調達部としたが、1956年(昭和31年)1月18日にほぼ立ち退き、1958年(昭和33年)1月をもって三菱地所に返還した[1]

返還を受けた三菱地所は、当時の旺盛なオフィス需要に対応すべく、より大規模なオフィスビルを建設するため三菱仲15号館を解体することにした[2]。解体に先立ち、三菱地所は東京消防庁監督のもとに1961年(昭和36年)6月20日に大掛かりな火災実験を行った。その後三菱仲15号館は取り壊され、跡地には三菱電機ビルヂングが建設された[2]

火災実験 編集

耐火造高層建築物の火災性状を把握して、その防火対策に活かすことや、必要な消防器材の使用テストを行うことを目的に行われた。主な実験内容は以下の通りである[3]

  • 建物内の温度測定
  • 燃焼生成ガスの分析
  • 煙濃度および拡散状況の測定
  • 放射性物質用鉛容器の耐火力試験
  • 各種消防器材・装備に関する実験
  • 消火作業
  • 内装材料の有無による火炎伝播速度の測定
  • 放射熱の測定

また、実験結果は学術論文にもまとめられている[4]

出典 編集

  1. ^ 『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 上巻494頁、下巻62-66頁、資料・年表・索引388頁
  2. ^ a b 『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 下巻108-110頁、資料・年表・索引408頁
  3. ^ 耐火造高層建築物の火災実験 -三菱仲15号館-」、東京消防庁消防科学研究所、1964年。 
  4. ^ 横井鎮男「三菱仲15号館火災実験からみた難燃材料と内装制限」『日本火災学会誌』、日本火災学会、1963年3月、ISSN 04499042 

参考文献 編集