上官 婉児(じょうかん えんじ、664年 - 710年)は、7世紀中国代の詩人。上官昭容(じょうかん しょうよう)とも呼ばれる。陝州陝県の出身。本貫隴西郡上邽県。祖父は上官儀。父は上官庭芝

上官婉児 (『百美新詠』)

略歴編集

麟徳元年(664年)12月の上官儀・上官庭芝の誅殺により、一族の大半を処刑され、彼女も婢の身分に落とされているが、頭の良さと詩文の巧みさにより、則天武后に愛され、中宗の時期、昭容(正二品)の女官のポストを与えられた。中宗は「修文館」を建て、公卿の文学者20名を選び、宴や詩会を開催し、金爵を賜っている。婉児は先生格で、鬢の男子を導いている。群臣たちは競作し、添削を請い、婉児の影響で宮廷内では詩が流行したという[1]

だが、その反面、則天武后の甥の武三思とも関係を持ち、中宗と韋皇后に彼のことを推薦し、取り立てるように計らってもいる。韋皇后に則天武后の故事を吹き込み、皇帝にかわって権力の座につくことを薦めた。そのため、韋皇后のクーデターが失敗に終わった際に、李隆基(後の玄宗)の目の前に引き出され、誅殺された[2]

没後の開元年間に、『詔張説題篇』20巻が出版されている。代表作に『綵書怨』(さいしょえん)など。

人物編集

2013年、西安空港の建設中に見つかった上官婉児の墓の墓誌には「彼女は度々、中宗を諫めた」との記述がある。また、墓から発掘された俑からは、彼女が政務に携わる際には男装していたことがわかっている。更に単独で埋葬されていることから「後宮の女性」としてでなく「高級官僚」として扱われていたことがうかがえる[3]

脚注編集

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  1. ^ 『中国の女詩人』花崎采琰より
  2. ^ 『則天武后』氣賀澤保規より
  3. ^ 中国王朝 英雄たちの伝説「権力者の素顔 史上唯一の女帝・則天武后」”. NHK. 2020年2月20日閲覧。より

伝記史料編集

  • 旧唐書』巻76 列伝第一后妃上 上官昭容
  • 新唐書』巻51 列伝第一后妃上 上官昭容

参考文献編集

登場作品編集

テレビドラマ