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下関街道(かかん-がいどう)は、南京市鼓楼区街道。現行行政地名は下関街道熱河路社区、下関街道多倫路社区などの社区[1]8個がある。

下関街道
下関街道にある閲江楼
下関街道にある閲江楼
中華人民共和国の旗 中国
省市区 江蘇省
南京市
鼓楼区
等時帯 UTC+8 (中国標準時)
郵便番号
210000

地名 編集

地理 編集

歴史沿革 編集

2002年2月、車站街道中山橋街道が合併して閲江楼街道が発足

2013年2月8日、下関区が撤廃し、鼓楼区に編入することに伴い、2018年3月19日、閲江楼街道下関街道に変更する。

行政区画 編集

8街道を管轄する[2]

番号 社区名 番号 社区名
01 熱河路社区 05 塩大街社区
02 多倫路社区 06 東炮台社区
03 唐山路社区 07 商埠街社区
04 新民門社区 08 世茂浜江社区

観光地 編集

中山埠頭

閲江楼江南四大名楼の一つである。1360年(至正20年)朱元璋が盧龍山(獅子山)が8万の伏兵により陳友諒の40万の軍を打ち破り明朝の基礎を築いた。1374年(洪武7年)に朱元璋は盧龍山を獅子山と改称、閲江楼建設の詔勅が出されたが建設は突如中断され600年余りの歳月が流れた。

繍球公園

古静海寺永楽9年(1411年)に永楽帝鄭和の南海遠征を記念して建立し、この時に「静海」の名を賜った。「静海」には「四海平静,天下太平」の意味が込められている。1840年6月英国の間でアヘン戦争が始まり、1842年には英軍に南京を占領され清は英国との協議を迫られ静海寺で8月12,13,14,24日に4回の会談が行われ、8月29日に英艦隊旗艦上で正式に南京条約が締結された。これは中国が初めて結んだ不平等条約であった。

天妃宮媽祖を祭祀する廟所。天妃宮は永楽5年(1407年)に建立された。正徳12年(1517年)は天妃宮を重修した。1937年に大日本帝国陸軍南京市を占領し、天妃宮は全部建物が壊され、天妃宮碑だけが残された。鄭和下西洋600周年を記念して、2004年7月、南京市人民政府は天妃宮の再建を始めた。2005年5月3日、天妃宮が落成し、5月4日に公開された。

明城牆

挹江門

江南水師学堂

渡江勝利記念碑

渡江勝利記念館

施設 編集

介護施設

図書館

交通 編集

地下鉄の駅

教育 編集

大学

中学南京市第十二中学

小学天妃宮小学

医療 編集

病院

娯楽 編集

体育館

脚注 編集

  1. ^ 「社区」という単語とは、中国政府(民政部)の定義によれば、「社区」とは、1)一定の地域に住む人々によって構成され、2)改革を通じて規模を調整した居民委員会の管轄区、のこととされている。その背景には、従来の職場「単位(ダンウェイ)」)を基盤とした都市住民管理や社会保障サービスが立ち行かなくなったためと言われている。日本の「国-都道府県-市区町村」という構造と比較して、中国は「国-省(自治区等)-地区(市)ー県(区)」という構造がある。さらに基層行政単位として「街道」があり、街道弁事処(行政機関)の指導を受けながら「居民委員会」が活動する。この居民委員会の管轄範囲が「社区」である。
  2. ^ 国家统计局”. 2023年2月21日閲覧。