与楽寺 (東京都北区)
東京都北区田端にある寺院
与楽寺(よらくじ)は、東京都北区田端1丁目にある真言宗豊山派の寺院。
与楽寺 | |
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山門 | |
所在地 | 東京都北区田端1-25-1[1] |
位置 | 北緯35度44分4.6秒 東経139度45分42.4秒 / 北緯35.734611度 東経139.761778度座標: 北緯35度44分4.6秒 東経139度45分42.4秒 / 北緯35.734611度 東経139.761778度 |
山号 | 宝珠山[2](ほうじゅざん) |
院号 | 地蔵院[2] |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 地蔵菩薩[3] |
創建年 | 伝・弘法大師の時代 |
開山 | 空海 |
正式名 | 宝珠山地蔵院与楽寺 |
別称 | 賊除地蔵 |
札所等 |
江戸六阿弥陀 4番 御府内八十八ヶ所霊場 56番 豊島八十八ヶ所霊場 56番 上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場 21番 |
法人番号 | 8011505000237 |
歴史
編集創建は不明であるものの[3]、寺伝によれば弘法大師(空海)によって当地に創建されたという。本尊は地蔵菩薩で、弘法大師の作と伝えられている[3]。この地蔵菩薩は、別名として賊除地蔵といわれ、これには以下のようないわれがあると伝わっている。
「ある時代の夜、盗賊が当与楽寺に入ろうとしたところ、寺から多数の僧が現れ、盗賊と対決、遂には盗賊を追い出した。どこからそんな僧が現れたのか不思議がっていたが、その翌朝与楽寺の本尊の地蔵菩薩の足に泥がついているのが発見された。それから人々は、この地蔵菩薩が僧に変身して盗賊を追い出したのだと信じるようになり、賊除地蔵としてなお一層の信仰を得るようになったと言われている。」[1]
江戸時代の慶安2年(1649年)、江戸幕府より20石の朱印を受け[2]て格式のある寺院になった。そして、当寺院は京都の仁和寺の関東末寺の取締役寺にもなった。その他に当寺院は、江戸六阿弥陀のひとつの阿弥陀如来でも知られている。
主な施設
編集アクセス
編集脚注
編集参考文献
編集- 北区教育委員会編『北区文化財案内 』1988年
- 「田端村 與楽寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ18豊島郡ノ10、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763978/21。
- “文化財説明板賊除地蔵尊の伝承地”. 北区飛鳥山博物館 (2015年4月23日). 2020年11月17日閲覧。