中原 益治郎(なかはら ますじろう、1895年明治28年)1月5日[1] - 1958年昭和33年)2月22日[2])は、日本工学者工学博士[3][4]大阪大学名誉教授[4]三菱重工業、芝浦共同工業各顧問[3]

人物

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大阪府大阪市で、中原庄兵衛の二男として生まれる[5][6][1]。中原繁之助の弟[3][6][7]分家した[3][6]1916年、東京帝国大学工科大学機械工学科入学[8]

1921年東京帝国大学工学部機械工学科卒業[5]1923年横浜高等工業学校教授となり、1927年、東京帝国大学工学部講師、1929年大阪工業大学助教授を歴任[5]。同大学が大阪帝国大学工学部に昇格後、引き続き助教授の任にあり1935年、教授に進む[6]

1934年、工学博士の学位を受く[6]。趣味は音楽、囲碁テニス俳句[6]。宗教は禅宗[3][6]。住所は兵庫県西宮市大井手町[3][6]、大阪府大阪市北区中之島[7]

家族・親族

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中原家
親戚

脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録 第19版 下』人事興信所、1957年、な52頁。
  2. ^ 「中原益治郎氏(阪大名誉教授、工博)」『読売新聞』1958年2月23日、3面。
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 下』ナ77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月17日閲覧。
  4. ^ a b c 『豪閥 地方豪族のネットワーク』385-393頁。
  5. ^ a b c d 『人事興信録 第10版 下』ナ76頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月17日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第13版 下』ナ80頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月17日閲覧。
  7. ^ a b 『人事興信録 第4版』な17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月17日閲覧。
  8. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正9年 至大正10年』第四 工学部学生生徒姓名37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月27日閲覧。

参考文献

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  • 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正9年 至大正10年』東京帝国大学、1913-1924年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。