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中島守利
中島守利

中島 守利(なかしま もりとし、1877年明治10年)10月15日[1] - 1952年昭和27年)1月28日[2])は、日本の実業家政治家衆議院議員東京府南葛飾郡新宿町長

目次

経歴編集

東京府出身[1][2]。中島藤左衛門の長男として生まれる[3]。独学で学問を修め[1]、新宿郵便局長に就任[1][2]。その後、新宿町長、東京府会議員、同参事会員、同郡部会副議長、同農会議員、同教育会議員などを歴任[2]

1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で東京府第十五区から立憲政友会所属で出馬して当選[2]。その後、第18回総選挙まで連続五回の当選を果たしたが、1928年京成電車疑獄事件に連座し、1934年3月26日、大審院において涜職被告事件の上告が棄却され東京控訴院の判決が確定したため衆議院議員を退職した[1][2][4]。この間、立憲政友会総務委員、同顧問を務めた[2]

戦後、1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で東京都第一区から日本自由党所属で出馬して当選[2]。以後、東京都第6区23回24回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算八期務め、在任中に死去した[2]。この間、衆議院地方行政委員長、日本自由党代議士会長、同総務、民主自由党顧問などを歴任した[2]

実業界では、北越木材専務取締役、白鬚橋専務取締役、東亜火災保険常務取締役、多摩川水力電気取締役社長などを務めた[2]

伝記編集

  • 中島守利先生謝恩会編『中島守利先生小伝 : 郷土の大先覚』中島守利先生謝恩会、1952年。

親族編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』435頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』444頁。
  3. ^ 『人事興信録』第14版 下、ナ49頁。
  4. ^ 『官報』第2170号、昭和9年3月29日。
  5. ^ 『人事興信録』第14版 下、ナ49頁、ヤ130頁。

参考文献編集

  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。