中村成太郎 (2代目)

日本の歌舞伎役者

二代目 中村成太郎(にだいめ なかむら なりたろう、1900年明治33年)9月1日 - 1980年昭和55年)11月17日)とは、明治時代末期から昭和時代末期にかけて活躍した上方歌舞伎役者本名吉野 乾太郎(よしの かんたろう)。

屋号は新駒屋、俳名は斗紅。 定紋丸に剣片喰(まる に けんかたばみ)、替紋は八重裏梅(やえうらうめ)。雅号は乾堂。

生涯 編集

東京府生まれ。1910年(明治43年)、市川介六の名で初舞台。のちに初代中村成太郎(後の中村魁車)の養子となる。1913年大正2年)大阪浪花座において中村太郎と改名。一時病気により東京へ帰るが、1929年昭和4年)関西に復帰。1932年(昭和7年)名題に昇進し、10月には二代目中村成太郎を襲名。花車方として戦中から戦後関西歌舞伎で活躍した。1973年(昭和48年)、勲五等瑞宝章を受章。翌年大阪市民表彰。

当り役は『廓文章』(吉田屋)のおきさ、『恋飛脚大和往来』の「封印切」のおえんなど。結果として養父である師匠名跡を継いだものの、不運にも芸が円熟する時期に関西歌舞伎内部崩壊が重なり、充分な活躍の場が得られなかった。子に二代目中村太郎がいる。また娘が立花幸の名で、一時朝日放送を中心に夕レントとして活躍していた。

参考文献 編集