中村重勝 (戦国時代)
戦国時代の武将
中村 重勝(なかむら しげかつ)は、戦国時代の武将。阿波海部城主。大西城主。通称は藤兵衛、右近太夫。中村右近の名で知られる。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 1615年1月15日(慶長19年12月16日) |
別名 | 通称:藤兵衛、右近太夫 |
墓所 | 桂林寺 |
主君 | 蜂須賀家政→蜂須賀至鎮 |
藩 | 徳島藩 |
氏族 | 中村氏 |
父母 | 父:中村重友 |
兄弟 | 中村一氏(説) |
妻 | 愛子(益田氏の娘) |
子 |
中村可近 初代中村勘三郎(説) |
生涯
編集父は尾張国中村郷の領土を持ち、海部城主をつとめた中村重友で、豊臣政権の三中老のひとりである中村一氏の末弟とされる。
徳島藩の蜂須賀家の家臣として5500石を与えられ、父の重友に代わり海部城に配置される。慶長3年(1598年)に牛田氏に代わり大西城主となる。
朝鮮出兵に従軍し、大坂冬の陣では200人を率いて出陣し、慶長19年(1614年)12月16日に本町橋の夜襲戦で戦死した。墓所は徳島県三好市にある桂林寺。
「東都劇場沿革誌料」等によれば歌舞伎江戸三座の一つ中村座の座元・初代中村勘三郎と同一人物とする説や、重勝の息子や孫とする説があるが明確ではない。
脚注
編集- ^ “中村勘三郎さんが三好市へ先祖の墓参り”. 三好市 (2009年5月). 2017年11月10日閲覧。