中根聡太
日本のバレーボール指導者
中根 聡太(なかね そうた、1996年3月2日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者である。
| ||||
---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1996年3月2日(28歳) | |||
出身地 | 愛知県岡崎市 | |||
ラテン文字 | Souta Nakane | |||
身長 | 173cm | |||
体重 | 68kg | |||
血液型 | O型 | |||
選手情報 | ||||
所属 | 星城高等学校 | |||
愛称 | ソウタ | |||
役職 | 監督 | |||
ポジション | S | |||
指高 | 222cm | |||
スパイク | 315cm |
来歴
編集愛知県岡崎市出身。父がバレーボールのコーチであり、自身も7歳の頃からバレーボールを始める。
岡崎市立矢作南小学校、岡崎市立矢作中学校卒業[1][2]。2011年4月、星城高等学校に進学。石川祐希とは小学、中学、高校と同じチームでプレーした[3]。2012年度、2013年度に、インターハイ、国民体育大会、春高バレーで3冠(2年で6冠)を達成した[4]。
2014年、筑波大学に進学。2015年、全日本大学選手権大会(全日本インカレ)で準優勝。2016年、春季関東大学リーグで優勝。2017年にも全日本インカレで準優勝。2017/18シーズン、V・プレミアリーグ(当時のVリーグ1部リーグ)に所属するジェイテクトSTINGSの内定選手となった[5]。内定選手としてV・プレミアリーグの試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。
2018年、大学卒業後に、ジェイテクトSTINGSに入団した。
2019/20シーズン、V1男子で正セッターとして活躍し、チームを初優勝に導いた[6]。しかし、自身はシーズンが始まった頃から最後のシーズンにすると決めていて、優勝を決めたファイナルをもって現役を引退した[7]。
2020年、引退後は母校である星城高等学校の教員となり、恩師の下で男子バレーボール部のコーチとなった[6]。同年度の春高バレー全国大会より、恩師から引き継ぎ監督となった[6]。
人物
編集- もともと高さがなく、学生時代はプロになることが大変だと思い、Vリーグでのプレーはあまり考えてなかったとのこと。それでもバレーボールは好きで、ずっとバレーボールに携わっていきたい気持ちはあり、指導者になるために筑波大学で教員免許を取得した[3]。
- 大学リーグ優勝、インカレ準優勝を果たし、選手として自信が出てきたところで地元のジェイテクトSTINGSから声が掛かり、入団を決めたと話している[3]。
所属チーム
編集- 星城高等学校(2011-2014年)
- 筑波大学(2014-2018年)
- ジェイテクトSTINGS(2018-2020年)
脚注
編集- ^ “『月報 岡崎の教育』2021年10月号” (PDF). 岡崎市教育ポータルサイト OKリンク. 岡崎市教育委員会. 2022年12月27日閲覧。
- ^ “ジャパネット杯 春の高校バレー 出場校一覧”. フジテレビ. 2022年12月26日閲覧。
- ^ a b c “リーグVセッター突然引退、24歳中根聡太先生の夢”. 日刊スポーツ. (2020年4月22日) 2022年11月30日閲覧。
- ^ 田中夕子「“高校6冠”経験者・中根聡太監督(25歳)が挑む2度目の春高「指導者って難しいけど、面白いし、幸せですよ」」『Sports Graphic Number』、文藝春秋、2022年1月4日、3頁、2022年11月30日閲覧。
- ^ 「ジェイテクトSTINGS」『Vリーグ観戦ガイドブック V.LEAGUE 2017/18 チームの顔』、日本文化出版、2017年12月、38頁、ASIN B0766HXDLG。
- ^ a b c “選手と共に戦う 星城高・中根聡太監督”. 月バレ.com (日本文化出版). (2021年6月22日) 2022年11月30日閲覧。
- ^ “2020年引退コメント”. ジェイテクトSTINGS. 2020年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月30日閲覧。
外部リンク
編集- V.LEAGUEによる公式プロフィール - ウェイバックマシン(2020年3月1日アーカイブ分)
- ジェイテクトSTINGSによる公式プロフィール - ウェイバックマシン(2020年1月1日アーカイブ分)