中華料理店症候群
中華料理店症候群(ちゅうかりょうりてんしょうこうぐん、チャイニーズ・レストラン・シンドローム、Chinese Restaurant Syndrome〈CRS〉)あるいはグルタミン酸ナトリウム症候群(グルタミンさんナトリウムしょうこうぐん、Monosodium Glutamate Symptom Complex〈MSGSC〉)とは頭痛、顔面紅潮、発汗、疲労感、顔面や唇の圧迫感などの症状から構成される症候群である。現在では、このような症状がグルタミン酸ナトリウムによって引き起こされることは学術的に否定されている[1][2][3]。
概要編集
俗にグルタミン酸ナトリウム(MSG)、日本でいう化学調味料が原因とされていた。症状のうち、稀であるが重篤なものとしては、喉の灼熱感、胸の痛み、動悸、息切れなどがこの症候群の特徴として挙げられている。大抵の場合は軽度の中華料理店症候群は後遺症は無く回復する。
背景編集
1960年代に中華料理を食べた少数のアメリカ人が食後に炎症を覚え、眠気、顔面の紅潮、掻痒感、頭痛、体の痺れ、軽度の背中の無感覚などの症状が見られた。これらの症状の大部分は悪化することはなく、しばらくすると消失するというものである。1968年に、これらの症状が「中華料理店症候群」として、医学論文雑誌の『ランセット』に掲載された(後に否定されている)。
一方、「グルタミン酸ナトリウム症候群」という呼び名は、グルタミン酸ナトリウム(MSG)がアメリカの中華料理でよく使用されることに起源を持つ。MSGは広く使用されるうま味調味料で、あらゆる家庭料理や料理店での調理やレシピで広く利用されている。
MSGが最初に工場で生産され、製品化されたのは1908年(明治41年)の日本で、理学博士の池田菊苗が創業した味の素株式会社によるものであった[5]。1950年代になると、アメリカ合衆国ではピルズバリー社、キャンベル社、オスカー・マイヤー社、リビー社、ゼネラルフーズ社など多数の食品メーカーが製品にMSGを利用し始め、アメリカでもMSG自体がスーパーマーケットで販売されるようになった。
一方、MSGは調味料として一部の低ナトリウム製品を除いた食品工業製品や調理に使いつづけられているが、1970年以降には中華料理店症候群の報告はほとんど見られなくなった。
MSGと中華料理店症候群には関連がないという研究結果がある[6]一方、一部の消費者は、科学的な裏付け無く[7]有害であると信じてMSGの摂取を避けている。現在でも、アメリカ国内においては、少数の食品店やレストランでは「no-MSG」(MSG無使用)のコーナーを設けてその様な消費者を呼び込んでいる。
1960年代のアメリカ国内で「中華料理店症候群」が発見された背景には、農薬や化学肥料を使用する農業や食品添加物に対する反対運動、東アジア人に対する人種・文化的偏見など複合的な要因があったと考えられている[8]。
科学的論議編集
1968年に中華料理症候群の論文が発表されてから、追試が行われたが再現性がとれなかった。また、1993年と2000年二重盲検法によるプラセボを対照としたMSGの大量投与試験では、中華料理店症候群は発生しなかったことが報告されている[1][2][3]。その上、料理にMSGを加えた場合でも症状は発生しなかった。
また、1979年に報告されたアメリカにおける疫学調査によると、調査対象3,222人のうちCRSと類似の症状の経験者は1.8%であるが、中華料理と関連付けることができたのは0.19%で、メキシコ料理やイタリア料理と関連付けられたケースよりも少なかった[1][9]。
これらのことから、グルタミン酸ナトリウムにより中華料理店症候群が引き起こされることは科学的に否定されている。また、科学的検証の結果、中華料理店症候群は一つの原因によるというよりは、食事後に起こる様々な病的症状につけられた呼称であり、症状の原因は事例ごとに異なっていると考えられる[6][10]。
例えば、Kenney R. A.は、中華料理店症候群の症状が弱い食道炎が存在するときに、食事による刺激で惹起される症状に似ている点を指摘し[1][2]、刺激性の強いソフトドリンク(濃いオレンジジュースやコーヒーなど)を飲んだ場合にも類似の症状が現れることを指摘している[11]。その他、過剰のナトリウム(濃い塩分に由来するナトリウムも含む)を急激に摂取したことによる血圧の変化、劣化した油脂の多量の摂取なども原因だとも指摘している。
その後、JECFA(ジェクファ、FAO/WHO合同食品添加物専門家会議)、アメリカ食品医薬品局 (FDA)、ヨーロッパ食品情報会議 (EUFIC)、欧州連合食品科学委員会 (SCF)、日本の食品安全委員会などで議論・調査がなされたが、グルタミン酸ナトリウムの摂取により中華料理店症候群が発生するという根拠は見つからなかった。これを受けて、JECFAは、グルタミン酸ナトリウムの一日許容摂取量に『上限を定める必要はない』と決定した[1]。
FDAはアメリカ合衆国大統領令によるGRAS指定の物質の再評価を1972〜80年に行い、頭痛や吐き気の症状が引き続きFDAに報告されたために、1990年代にもグルタミン酸ナトリウムの評価も再び実施した。いずれの調査においても、頭痛、しびれ、めまい、紅潮など中華料理店症候群に似た臨床的症状を確認したとしたが、一時的で軽症であるとして、GRASとして問題ないとした。また、FDAの管轄は加工食品のためGRASの指定はFDAの基準・使用量を満たした加工食品のみであり、家庭、レストラン等でのグルタミン酸ナトリウムの使用は調査外としている(一食分の典型的な使用量は0.5g以下としている)[12][13]。
その他編集
1990年代以降、アメリカ国内において、中華料理である火鍋を扱う店が増えている。閉め切った部屋で火鍋を食べることで、一酸化炭素中毒が多く起こり、頭痛などの症状が現れることがある。これらの症状は「新しい中華料理店症候群」と呼ばれている[14]。
脚注編集
- ^ a b c d e 吉川春寿、芦田淳編、「中華料理症候群」、『総合栄養学事典』、第4版、同文書院 ISBN 4-8103-0024-2
- ^ a b c Kenny R. A., Food Chem. Toxic., 24, 351, 1986.
- ^ a b Geha RS, Beiser A, Ren C, Patterson R, Greenberger PA, Grammer LC, Ditto AM, Harris KE, Shaughnessy MA, Yarnold PR, Corren J, Saxon A (2000). “Review of alleged reaction to monosodium glutamate and outcome of a multicenter double-blind placebo-controlled study”. J. Nutr. 130 (4S Suppl): 1058S–62S . PMID 10736382.
- ^ Folkers K, Shizukuishi S, Willis R, Scudder SL, Takemura K, Longenecker JB (1984). “The biochemistry of vitamin B6 is basic to the cause of the Chinese restaurant syndrome”. Hoppe-Seyler's Z. Physiol. Chem. 365 (3): 405–14. PMID 6724532.
- ^ 今日では、味の素社は世界最大のMSGの製造会社である。
- ^ a b Freeman M (2006). “Reconsidering the effects of monosodium glutamate: a literature review”. Journal of the American Academy of Nurse Practitioners 18 (10): 482–6. doi:10.1111/j.1745-7599.2006.00160.x. PMID 16999713.
- ^ 岩田健太郎 (20190226T070000+0900). “化学調味料が「体に悪い」は間違い! 医師が指摘する“添加物リスク”の受け止め方 〈週刊朝日〉”. AERA dot. (アエラドット). 2020年4月20日閲覧。
- ^ “Definition of CHINESE RESTAURANT SYNDROME” (英語). www.merriam-webster.com. 2020年1月20日閲覧。
- ^ Kerr G.R. et.al., J. Amer. Dietetic Assoc., 75, 29, 1979.
- ^ Tarasoff L, Kelly MF (1995). “Monosodium L-glutamate: a double-blind study and review”. Food Chem. Toxicol. 33 (1): 69–78. doi:10.1016/0278-6915(95)80250-9. PMID 8282275.
- ^ Kenney R.F., Lancet, 9, 311, 1980.
- ^ “Select Committee on GRAS Substances (SCOGS) Opinion: L-Glutamic acid and L-glutamates” (英語). アメリカ食品医薬品局. 2017年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月7日閲覧。
- ^ “Questions and Answers on Monosodium glutamate (MSG)”. アメリカ食品医薬品局 (2012年11月19日). 2023年3月7日閲覧。
- ^ Gaüzère, Bernard-Alex; Djardem, Yasmina; Bourdé, Arnaud; Blanc, Philippe (1999). “[No title found”]. Critical Care 3 (1): 55. doi:10.1186/cc308. PMC PMC3226313. PMID 11094474 .
関連項目編集
外部リンク編集
- NIH article on Chinese restaurant syndrome(英語)
- Renton, Alex (2005年7月10日). “If MSG is so bad for you, why doesn't everyone in Asia have a headache?” (英語). The Observer