中部 兼市(なかべ かねいち、1892年2月25日 - 1953年3月25日)は、日本の経営者で、プロ野球チーム・大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の初代オーナーも務めた。
兵庫県明石市出身[1]。中部幾次郎の長男で、弟には中部謙吉、中部利三郎。1924年9月に林兼商店専務を務め、1945年12月に大洋漁業社長に就任[1]。1947年8月に公職追放を受け、いったん辞任し、1950年10月に社長に復帰[2]。
1941年に水産功労者の表彰を受ける[3]。
1953年3月25日在職中に胃潰瘍のために山口県下関市の自宅で死去[4]。61歳没。