中野天満神社
香川県高松市番町にある神社
中野天満神社(なかのてんまんじんじゃ)は、香川県高松市番町五丁目にある神社。
中野天満神社 | |
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所在地 | 香川県高松市番町五丁目1番18号 |
位置 | 北緯34度20分18.2秒 東経134度2分37秒 / 北緯34.338389度 東経134.04361度座標: 北緯34度20分18.2秒 東経134度2分37秒 / 北緯34.338389度 東経134.04361度 |
主祭神 | 菅原道真 |
社格等 | 郷社 |
例祭 | 例大祭(7月25日) |
地図 |
概要
編集高松市中心部の天神前交差点(通称:八本松)前に位置する。建物は都市型の近代的な3層鉄筋コンクリート造で、1階が駐車場、2階が社務所、3階が拝殿となっている。
戦前までの社地は約2000坪を有する広大なもので、現在の香川県議会議事堂、附属幼稚園高松園舎の敷地にまで及び、境内とその周辺には藩校・講道館や聖廟が位置するなど、高松藩学の中心であった。このため高松市内最古の天満宮である華下天満宮を通称・古天神と呼ぶのに対し、当社を「大天神」と呼ぶ[1]。
歴史
編集創建年は不明であるが、菅原道真の霊を京都北野天満宮から勧請し、北野の「野」と所在地の香川郡中ノ村(現・高松市中野町付近)の「中」を合わせて中野天神と称し、その後1638年(寛永15年)に生駒高俊が現在地(旧・雑賀城跡)に奉還した[3]。高松藩藩主・松平頼重はこの菅神を厚く信仰し、社殿・社地を大きく広げ、1916年(大正5年)には郷社に列格した。しかし、それらは1945年(昭和20年)7月4日の米軍による無差別絨毯爆撃「高松空襲」によって全焼し、社殿など一切は失われる。その後、社地を縮小した上で有志によって1969年(昭和44年)に再建された。
交通アクセス
編集参考文献
編集- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典37 香川県』角川書店、1985年10月8日、585頁頁。ISBN 978-4-04-001370-1。
- ^ 高松市史編修室 編『高松地名史話 : 篦原五ケ荘このかたの地名をさぐる』高松市、1961年8月20日、24頁。NDLJP:2985344/23。
- ^ 梶原景紹『讃岐国名勝図会』1854年。