丸中金華山汽船(まるなかきんかさんきせん)は、宮城県牡鹿郡女川町に本社を置いていた海運会社金華山への航路を運航していた。

概要

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1924年に創業、1953年に金華山への航路を開設した[1]

最盛期の1989年には約3億7000万円の売り上げがあったが、1998年に主力船の「ラ・ベルメール」が機関故障を起こし、休航による減収と修理費用の負担により、以後、赤字を累積した。2004年には出島航路を廃止して不採算の離島航路事業から撤退、金華山への観光航路に特化したが、観光客の減少により、2006年には売り上げが約1億円に減少した。その後、建造費用の借り入れなどの負担で債務超過となり資金繰りが悪化、2007年12月27日に関連会社の「ホテルおしか」とともに仙台地方裁判所破産手続きの開始を申し立て倒産、運航を停止した [1]

航路

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  • 鮎川港 - 金華山
  • 女川港 - 金華山
  • 女川港 - 出島

船舶

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売船後の「ラ・ベルメール」
  • レスポワール
三保造船所建造。倒産後、潮プランニングが購入を検討したが、価格面で折り合わず、女川港、横須賀港で長期係船された後、2010年江田島市企業局が高速船増便のため購入。
三保造船所建造。後にセラヴィ観光汽船へ売却。

脚注

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関連項目

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  • 潮プランニング - 航路を引き継ぐために女川町内の水産業者などにより設立された海運会社