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宮城県牡鹿郡の範囲(緑:女川町)

牡鹿郡(おしかぐん)は、宮城県陸奥国陸前国)の

人口5,870人、面積65.35km²、人口密度89.8人/km²。(2019年6月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域編集

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に石巻市の一部(蛇田、南境、大瓜、高木、水沼、真野以南)を加えた区域にあたる。

歴史編集

近代以降の沿革編集

区分 村数 村名
陸方 13村 石巻村、大瓜村、門脇村、沢田村、高木村、流留村、根岸村、沼津村、蛇田村、真野村、水沼村、湊村、南境村
浜方 女川組 13浜3浦2崎2島 女川浜、飯子浜、石浜、浦宿浜、大石原浜、御前浜、小乗浜、指ヶ浜、高白浜、塚浜、野々浜、針浜、鷲神浜、尾浦、竹浦、横浦、桐ヶ崎、宮ヶ崎、出島、江島
狐崎組 13浜3浦 狐崎浜、祝田浜、荻浜、折浜、小網倉浜、小竹浜、小積浜、佐須浜、侍浜、清水田浜、竹浜、田代浜、牧浜、月浦、福貴浦、桃浦
十八成組 10浜1浦 十八成浜、鮎川浜、網地浜、大原浜、給分浜、泊浜、新山浜、長渡浜、谷川浜、寄磯浜、鮫浦
  • 明治7年(1874年)4月 - 区の再編により、桃生郡のうち南方と共に宮城県第5大区となる。
  • 明治9年(1876年)11月 - 区の再編により、桃生郡・本吉郡と共に宮城県第5大区となる。
  • 明治11年(1878年)10月21日 - 郡区町村編制法の宮城県での施行により、行政区画としての牡鹿郡が発足。郡役所が石巻村に設置。同日大区小区制を廃止。
  • 明治20年(1887年)9月28日 - 火災により郡役所が焼失。そのため翌年に門脇村へ役所を移転。

町村制施行以降の沿革編集

 
1.石巻町 2.蛇田村 3.稲井村 4.渡波町 5.荻浜村 6.大原村 7.鮎川村 8.女川村(紫:石巻市 青:合併なし)
  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足[1]。特記以外は全域が現・石巻市。(2町6村)
    • 石巻町 ← 石巻村、門脇村、湊村〔稲井・磯田を除く部分〕
    • 蛇田村(単独村制)
    • 稲井村 ← 南境村、大瓜村、高木村、水沼村、真野村、沼津村、流留村、沢田村、湊村〔稲井・磯田〕
    • 渡波町 ← 佐須浜、根岸村、祝田浜
    • 荻浜村 ← 小竹浜、折浜、桃浦、月浦、侍浜、荻浜、小積浜、竹浜、牧浜、狐崎浜、福貴浦、田代浜
    • 大原村 ← 小網倉浜、清水田浜、大原浜、給分浜、新山浜、泊浜、谷川浜、鮫浦、寄磯浜
    • 鮎川村 ← 網地浜、長渡浜、鮎川浜、十八成浜
    • 女川村 ← 浦宿浜、針浜、女川浜、鷲神浜、小乗浜、高白浜、横浦、大石原浜、野々浜、飯子浜、塚浜、江島、出島、竹浦、尾浦、桐ヶ崎、石浜、宮ヶ崎、御前浜、指ヶ浜(現・女川町)
  • 明治27年(1894年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 大正12年(1923年)4月1日(3町5村)
    • 女川村が町制施行し、女川町となる。
    • 郡会を廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和8年(1933年)4月1日 - 石巻町が蛇田村の一部を編入のうえ市制施行して石巻市となり、郡より離脱。(2町5村)
  • 昭和15年(1940年)12月1日 - 鮎川村が町制施行して鮎川町となる。(3町4村)
  • 昭和24年(1949年)4月1日 - 蛇田村の一部[2]が石巻市に編入。(2町5村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日 - 蛇田村が石巻市に編入。(3町3村)
    • 3月26日 - 鮎川町・大原村が合併して牡鹿町が発足。(3町2村)
    • 4月10日 - 荻浜村が石巻市に編入。(3町1村)
  • 昭和34年(1959年
    • 4月1日 - 稲井村が町制施行して稲井町となる。(4町)
    • 5月15日 - 渡波町が石巻市と稲井町に分割編入[3]。(3町)
  • 昭和42年(1967年)3月23日 - 稲井町が石巻市に編入。(2町)
  • 平成17年(2005年)4月1日 - 牡鹿町が石巻市・桃生郡桃生町河南町河北町北上町雄勝町と合併し、改めて石巻市が発足、郡より離脱。(1町)

変遷表編集

行政編集

  • 歴代郡長
氏名 就任 退任 備考
1 黒川剛 明治11年(1878年)11月16日 明治19年(1886年)9月15日
2 林通故 明治19年(1886年)9月16日 明治21年(1888年)6月5日
3 竹内寿貞 明治21年(1888年)6月8日 明治22年(1889年)11月26日
4 島崎直信 明治22年(1889年)11月27日 明治31年(1898年)12月26日
5 遊佐正人 明治31年(1898年)12月27日 明治39年(1906年)2月28日
6 本木房吉 明治39年(1906年)2月28日[4] 明治40年(1907年)8月10日
7 清野喜左衛門 明治40年(1907年)8月10日[5] 大正3年(1914年)12月28日
8 本田龍助 大正4年(1915年)12月29日 大正5年(1916年)5月
9 岩淵俊夫 大正5年(1916年)5月 大正8年(1919年)6月9日
10 池田繁治 大正8年(1919年)6月10日 大正9年(1920年)7月
11 土居通次 大正9年(1920年)7月28日 大正10年(1921年)6月
12 下山鉱之助 大正10年(1921年)6月18日 大正12年(1923年)2月27日
13 菊池忠良 大正12年(1923年)2月28日

脚注編集

  1. ^ 町村の統合自体は前日の3月31日付で実施されている。(明治22年(1889年)2月9日付、宮城県令第8号)
  2. ^ 明神山・山下・山下西・鍋倉・鍋倉前・南谷地・七窪・横堤・横堤南・揚慮原・揚慮原西・深淵・境谷地・清水尻・清水尻西・西中里・東中里・面剣田・水押の各字
  3. ^ 根岸字坂上山・城見山・竹ノ下・中・城見・城見ノ一・大和田が稲井町編入分。残りは石巻市に編入
  4. ^ 『官報』第6798号、明治39年3月1日。
  5. ^ 『官報』第7236号、明治40年8月12日。

参考文献編集