久世広明
久世 広明(くぜ ひろあきら)は、江戸時代中期の大名。寺社奉行、大坂城代、京都所司代、老中。下総国関宿藩主。官位は従四位下大和守。関宿藩久世家4代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保16年12月23日(1732年1月20日) |
死没 | 天明5年1月24日(1785年3月4日) |
改名 | 熊太郎、広明 |
墓所 | 東京都豊島区の本妙寺 |
官位 | 従四位下大和守 |
幕府 | 江戸幕府寺社奉行、大坂城代、京都所司代、老中 |
主君 | 徳川家重→家治 |
藩 | 下総関宿藩主 |
氏族 | 久世氏 |
父母 |
父:久世広武、母:松平忠根の娘 養父:久世暉之 |
兄弟 | 広明、土井利剛、巨勢利永正室、河野通成 |
妻 | 正室:岡部長著の娘 |
子 | 広誉、広備、長谷川勝孚、土井利豊、広才、鈴木重逵、松平広徳、広侶、久世広楽正室、満喜子、久世広孝正室ら |
略歴
編集大身旗本・久世広武(久世重之の五男広籌を初代とする旗本久世家)の長男として誕生。幼名は熊太郎。実父広武は土井利良の三男として生まれて、広籌の養子に迎えられた。
寛保3年(1743年)7月9日、本家である関宿藩主久世暉之の養嗣子となった。7月28日、8代将軍徳川吉宗に御目見した。寛延元年(1748年)8月22日、暉之が隠居し家督を継ぐ。寺社奉行、京都所司代などを歴任後、天明元年(1781年)に老中となり、天明5年(1785年)に死去するまで在任した。墓所は、東京都豊島区巣鴨5丁目の本妙寺。
年表
編集系譜
編集父母
正室
- 岡部長著の娘
子女
- 久世広誉(長男)生母は正室
- 久世広備(六男)
- 長谷川勝孚(七男)
- 土井利豊(八男)
- 久世広才(九男)
- 鈴木重逵(十一男)
- 松平広徳(十二男)
- 久世広侶(十三男)
- 久世広楽正室
- 久世満喜子 - 伊達村芳正室
- 久世広孝正室