久我通村
鎌倉時代後期の公卿。久我通基の二男。従三位・左中将
久我 通村(こが みちむら)は、鎌倉時代後期の公卿。内大臣・久我通基の二男[1]。母は嫡兄・通雄と同じ姉小路顕朝の娘か。官位は従三位・左中将。
時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 正和3年(1314年)4月 |
官位 | 従三位・左中将 |
主君 | 後嵯峨上皇→亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇 |
氏族 | 久我家 |
父母 | 父:久我通基、母:姉小路顕朝娘? |
兄弟 | 通雄、通嗣、通村、通任、通宣、敦通、道雅 |
経歴
編集以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 文永2年(1265年)1月5日、叙爵。
- 文永4年(1267年)11月8日、侍従に任ぜられる。
- 文永5年(1268年)1月29日、従五位上に昇叙。
- 永8年(1271年)1月5日、正五位下に昇叙。
- 永9年(1272年)1月5日、従四位下に昇叙。
- 弘安2年(1279年)1月5日、従四位上に昇叙。4月17日、右少将に任ぜられる。
- 弘安3年(1280年)3月12日、加賀介を兼ねる。12月12日、右中将に転任。
- 弘安6年(1283年)1月5日、正四位下に昇叙。
- 正安元年(1299年)12月17日、従三位に叙せられる。
- 延慶元年(1308年)11月19日、父・通基の喪に服す。
- 正和元年(1312年)2月、左中将を止められる。
- 正和3年(1314年)4月、卒去。
脚注
編集- ^ 従三位に叙されて以来、一度も官位の昇進がなかった。三男である可能性も。