久我通村

鎌倉時代後期の公卿。久我通基の二男。従三位・左中将

久我 通村(こが みちむら)は、鎌倉時代後期の公卿内大臣久我通基の二男[1]。母は嫡兄・通雄と同じ姉小路顕朝の娘か。官位従三位左中将

 
久我通村
時代 鎌倉時代後期
生誕 不明
死没 正和3年(1314年)4月
官位 従三位左中将
主君 後嵯峨上皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇花園天皇
氏族 久我家
父母 父:久我通基、母:姉小路顕朝娘?
兄弟 通雄通嗣通村通任通宣敦通、道雅
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経歴

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以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

脚注

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  1. ^ 従三位に叙されて以来、一度も官位の昇進がなかった。三男である可能性も。

参考文献

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