九条尚経

室町時代・戦国時代の公卿。九条家15代。九条政基の長男。従一位、関白、左大臣。

九条 尚経(くじょう ひさつね)は、室町時代戦国時代公卿九条家第15代目当主。九条政基の長男。母は従三位智子(姓不明)。後慈眼院と号す。法名は行智。道号は花渓。「尚」の字は、将軍足利義尚より偏諱を賜ったものである。九条家が最も没落した時期の当主でもある。

 
九条尚経
時代 室町時代 - 戦国時代前期
生誕 応仁2年11月25日1469年1月7日
死没 享禄3年7月8日1530年8月1日
改名 尚経→行智(法名)
諡号 後慈眼院
官位 従一位関白左大臣
主君 後土御門天皇後柏原天皇
氏族 九条家
父母 父:九条政基、母:従三位智子(姓不明)
兄弟 尚経細川澄之
三条西保子(三条西実隆の娘)
稙通花山院家輔、尋円、経子、大岡善吉?
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生涯

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文明14年(1482年)、父の政基から家督を譲られた。

明応5年(1496年)正月、父とともに家司唐橋在数を殺害し、閏2月に勅勘に処せられた。

明応7年(1499年)12月21日、勅勘を解かれ、文亀元年(1501年)に関白藤氏長者となる。

永正3年(1506年)に左大臣となり、同11年(1514年)には従一位に叙せられる。

享禄3年(1530年)、63歳で死去し、東福寺で葬礼が行われた。

人物

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日記『後慈眼院殿記』及び有職故実書『後慈眼院尚経公装束抄』を著した。

系譜

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参考文献

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