了然

1646-1711, 江戸時代前期~中期の黄檗宗の尼僧

了然(りょうねん、正保3年(1646年)- 正徳元年9月18日1711年10月29日))は、江戸時代前期から中期にかけての黄檗宗尼僧武田信玄の曾孫葛山長爾の娘。名は総。字は了然。諱は元総。京都の出身。

了然
ヒト
性別女性 編集
国籍日本 編集
生年月日1646 編集
出生地京都市 編集
死亡年月日29 10 1711 編集
職業書家詩人 編集
宗教仏教 編集

初め後水尾天皇の中宮東福門院に出仕したのち、松田晩翠と結婚し二男三女を生んだ。しかし、1672年寛文12年)松田の家を出て、中宮東福門院の孫にあたる好君に使えた。好君の没後、京都宝鏡寺理忠女王(後水尾天皇の皇女)に師事して剃髪した。江戸にくだり黄檗宗禅僧白翁道泰に入門を願ったが、美貌のため許されず、自ら顔面を焼いて入門を許された。1693年元禄6年)武蔵国上落合村(現在東京都新宿区)に泰雲寺を創建し、白翁を勧請開山にむかえ、自らは2世を称した。

関連項目

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