交響曲第10番 (ベートーヴェン)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン交響曲第10番(こうきょうきょくだい10ばん)は、未完成の交響曲である。この楽曲は、「未完成交響曲」として有名なシューベルトロ短調や、ブルックナー第9番マーラー第10番などの交響曲と違い、まとまった形の楽章などはなく、曲の断片的なスケッチが残されているのみである。ベートーヴェンは交響曲第10番について準備段階としていくつかのモチーフやアイデアを作成したのみで、本格的な作曲が開始されないまま1827年3月26日に逝去した。

構想編集

ベートーヴェンは、第5番第6番第7番第8番、といったように後期の交響曲を2曲1組として作曲している。その流れに沿い、元々は交響曲第9番と第10番も1対として構想された。構想の初期段階では、交響曲第9番は純粋な器楽のためのものとされ、第10番は合唱を含むものとして計画されていたが、やがてベートーヴェンはこの2つの楽曲の構想を一つに統一し、より完成度の高い一つの交響曲の作曲へと方針を転換することとなる(ここで生まれた交響曲こそが、実際の交響曲第9番である)。

交響曲第9番の完成後、ベートーヴェンの関心は弦楽四重奏曲の作曲へと移り、交響曲第10番はスケッチ状態のまま手を加えられることはなかった。その後、ベートーヴェンは1827年3月26日に死去した。ベートーヴェンの晩年の秘書を自称していたアントン・シンドラーによると、ベートーヴェンは死の直前に「完全にスケッチを終えた新しい交響曲が引き出しの中に入っている」と言い残したという。しかしベートーヴェンの死後、遺言にもとづいて友人のシュテファン・フォン・ブロイニングドイツ語版とシンドラーが交響曲第10番のスケッチを探したが、それとおぼしきスケッチは見つからなかったとされる。

交響曲第10番のスケッチであろうと考えられている断片的な楽譜は数多く発見されており、中には「かなりの可能性で実際の交響曲第10番のスケッチである」と見られているものもある。しかし、大半は真偽の判別がついていない。残されたスケッチは数小節単位の非常に断片的なものであり、また非常にラフな記載で解読困難な部分もある。

補筆の試み編集

ボンベートーヴェン・ハウスベルリン国立図書館などが所蔵しているスケッチを元に、ベートーヴェンの技法を模倣して補筆し、曲として完成させようという試みがある。

バリー・クーパー版編集

1988年、ベートーヴェン研究者のバリー・クーパーは、交響曲第10番変ホ長調を発表した。完成されたのは第1楽章のみで、350小節相当におよぶベートーヴェンのオリジナル・スケッチが検討の対象とされた[1]。これはロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団によって初演された。クーパーはその後、さらに資料収集と検討を重ねて第2稿を発表した。第2稿はウィン・モリス指揮ロンドン交響楽団によって初演された[1]。クーパー版第1楽章の第1主題はピアノソナタ第8番『悲愴』の第2楽章に酷似しており、スケッチに残された指示通り木管楽器で奏でられる。その第1主題は展開しつつアンダンテで繰り返し提示されるが、途中よりティンパニの連打によってスケルツオの第2主題に変わる。これは2つのメロディが残される一方でそれらのテーマが別の楽章ではないと指示があり、その変化する部分のスケッチも残されているためである。最後はもう再度第1主題に戻り曲の終わりを迎える。残されたスケッチに比較的忠実に作曲されており、随所にベートーベンらしさは感じられるとされるが、採用したスケッチの選択や曲の展開や構築については意見や評価が分かれている。クーパー補筆版の演奏は複数のレーベルより市販された。また、クーパーはこの曲のために来日し、読売日本交響楽団を指揮して公演を行っている(日本初演)。

デイヴィッド・コープ版編集

アメリカ合衆国のコンピューター音楽の専門家でもあり作曲家のデイヴィッド・コープ英語版は、自身のAIソフトウェアEmmyを使用して第2楽章のみを作曲させた。

七田英明版編集

2011年4月七田英明は4楽章からなる交響曲を交響曲第10番ハ短調として発表した。2013年2月23日イタリアカントゥの市立サン・テオドーロ劇場で第1楽章のみ初演された[2]。楽譜は総譜のみIMSLPで公開されている[3]。4楽章構成とするにはベートーヴェンの残されたスケッチはあまりにも少なく、例えば第2楽章は数小節のスケッチ1つだけを元にして作曲されている。七田の推考や創作の部分が多く、クーパー版との違いは大きい。

2019年のAIによる補筆編集

2019年、マティアス・レーダー (Matthias Roeder) をリーダーとする音楽学者とプログラマーによるチームがAIをつかって補筆を試みた[4][5]。最初の完成品は繰り返しを多用した単調な仕上がりであったが、2度目の作品は完成度が増したという[4]。ベートーヴェンの生誕地であるボンで、2020年4月28日に生誕250年祝賀行事[6]の目玉としてフルオーケストラで演奏される予定だった[4]新型コロナウイルス感染症の流行により行事は延期された)。クーバーは完成した楽曲の一部を聴いたうえで、「到底ベートーベンの作品とは思えない―(AIによる作曲は)ベートーベンの意図を歪める危険性がある」として懸念を表明したが[5]、この試みを評価する声もあった[5]シューベルト未完成交響曲についても同様の試みを行ったが、完成した曲はシューベルトの曲というよりアメリカの映画音楽のようだと酷評されている[4]。このチームはマーラーバッハの未完成曲についても同様の作業を試みている[4]

スケッチを流用した交響曲編集

交響曲第10番のスケッチとされる素材を流用して、新たな交響曲を作曲する試みもなされている。

ゲルト・プレンゲルの交響曲ハ短調編集

2011年、ドイツの作曲家ゲルト・プレンゲル(Gerd Prengel)が残されたスケッチを研究し、4楽章構成の交響曲を発表している[7]。楽譜が公開されている。

アドリアン・ガジウの交響曲第4番 “Homage to Beethoven”編集

2003年、ルーマニアの作曲家アドリアン・ガジウ(Adrian Gagiu)は「自身作曲の4番目の交響曲」“Homage to Beethoven”(ベートーヴェンを讃えて)として、ベートーヴェンの交響曲第10番のものとされるスケッチを取り入れた、交響曲第4番を作曲した[8]。4楽章形式。ベートーヴェンによる完成形を追求した作品ではないが、全楽章にベートーヴェンが残したスケッチに基づいたメロディが散りばめられており、全体の印象はクーパー版に似ている[9][10]

ブラームスの交響曲第1番に関して編集

ロマン派の作曲家ヨハネス・ブラームスは、ベートーヴェンの音楽を非常に高く評価し、自身の交響曲をベートーヴェンのそれに匹敵するほどの完成度にすることを目指して推敲に推敲を重ね、構想から20年のときを経た1876年交響曲第1番ハ短調を完成させた。この交響曲第1番は当時、その完成度から「ベートーヴェンに10番目の交響曲ができたようだ」と指揮者のハンス・フォン・ビューローから高く評価されたため、現代でもこの逸話とともに、ブラームスの交響曲第1番は「交響曲第10番」の愛称で呼ばれることがある。

ゲーテ『ファウスト』との関連編集

第9番ではシラーの詩を用いたベートーヴェンであるが、第10番ではゲーテの『ファウスト』を用いるアイディアがあったとされている。後世、『ファウスト』に拠った交響作品としては、リストの『ファウスト交響曲』、マーラー交響曲第8番(第2部で『ファウスト』の終末部の詩を利用)が知られている。オペラでもベルリオーズの『ファウストの劫罰』、グノーファウスト』がある。

脚注編集

  1. ^ a b Beethoven: First Recording of Symphony No. 10 in E flat, 1st movement; London Symphony Orchestra conducted by Wyn Morris; Carlton Classics; ASIN: B000003YPG
  2. ^ Ludwig van Beethoven - Avvenimenti - Ludwig van Beethoven in italiano - Armando Orlandi
  3. ^ IMSLP
  4. ^ a b c d e AIがベートーベンの未完の交響曲第10番を完成へ 2019年12月14日 11:20 発信地:ベルリン/ドイツ [ ドイツ ヨーロッパ AFP]
  5. ^ a b c ベートーベンが『第九』と同時に作っていた“幻の交響曲10番”をAIが完成させる?生誕250年の節目で WORLD huffingtonpost 2019年12月15日 12時19分 JST
  6. ^ Beethovenfest
  7. ^ Symphony c-minor, 4 movements by the use of sketches for Beethoven's Tenth symphony
  8. ^ Homage to Beethoven
  9. ^ Adrian Gagiu 交響曲第4番音源
  10. ^ No solo de Beethoven vive el melómano. Para quienes desean oír hoy las obras maestras del futuro. 2019年12月17日閲覧

参考文献編集

  • 属啓成『ベートーヴェン 作品篇』「第10シンフォニーの計画」音楽之友社、1963年。ASIN: B000JAIMHO