今井 昌治(いまい まさはる、1884年明治17年)1月5日[1] - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚高雄市尹花蓮港庁長。

今井昌治

経歴・人物 編集

新潟県中頚城郡高田城下に生まれる[1]1899年(明治32年)台湾に渡り、1908年(明治41年)6月に台北庁警部、1920年大正9年)9月に台北州保安課長を経て、1922年(大正11年)5月、台湾総督府地方警視に進み、台北南警察署長に就任する[1]

1924年(大正13年)12月、地方理事官に進み、台中州新高郡守となり、ついで1926年(大正15年)1月に新竹州苗栗郡守、1927年(昭和2年)8月に台中州彰化郡守を経て、1929年(昭和4年)5月に高雄市尹に就任した[1]1932年(昭和7年)4月、花蓮港庁長に転じ、翌年9月末に官職を辞した[1]

退官後は、台中市常設委員、同市勧業委員、同市教育委員などを経て、1935年(昭和10年)11月に台中市会議員となり、ついで台中州青果同業組合常務副組長、台中州芭蕉販売購買利用組合長、台中州会議員など要職を歴任した[2][3][4]

栄典 編集

位階
勲章等
  • 1933年(昭和8年)10月 - 勲五等瑞宝章[1]

脚注 編集

参考文献 編集