伊佐勉
伊佐 勉(いさ つとむ、1969年11月2日 - )は、沖縄県宜野湾市出身のプロバスケットボール指導者である[1]。
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役職 | ヘッドコーチ |
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基本情報 | |
愛称 | むーさん |
日本語 | 伊佐勉 |
国籍 |
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生年月日 | 1969年11月2日(53歳) |
出身地 | 沖縄県 |
キャリア情報 | |
出身 | 専修大学 |
ポジション | PG |
選手経歴 | |
1990-2007 | 大米クラブ/レキオスBasket |
指導者経歴 | |
1990-2007 2007-2013 2013-2017 2017-2018 2018-2022 |
大米クラブ/レキオスBasket 琉球ゴールデンキングスAC 琉球ゴールデンキングスHC サンロッカーズ渋谷AC サンロッカーズ渋谷HC |
2007年にbjリーグ(当時)・琉球ゴールデンキングスのアシスタントコーチに就任する。2013-14シーズン シーズンからはヘッドコーチに昇格し、このシーズンと2015-16シーズンにリーグ優勝を果たした。2016-17シーズン終了とともに退任し、2017-18シーズンからはサンロッカーズ渋谷のアシスタントコーチを務める[2]。 2018-19シーズン途中から勝久ジェフリーの退任により、ヘッドコーチに昇格。
来歴編集
興南高校で1年時に選抜大会準優勝に導きベスト5を受賞。翌年には地元開催の国体で優勝に貢献。高校の同期に元プロボクサーのピューマ渡久地。現バスケットボール部監督の井上公男は2年後輩に当たる。
専大進学後も新人戦でアシスト王を獲得。4年時には主将を務める。ユニバーシアード準優勝メンバーだった脇将典は同期に当たる。
卒業後は地元に戻り、大米クラブ(現・レキオスBasket)に入団し選手兼任監督としてプレー。
2001年には全日本クラブ選手権で優勝を果たし、オールジャパンにも出場。
2004年までは学生時代より引き続き国体沖縄県代表に選ばれ続け、1998年のかながわ・ゆめ国体では準優勝に貢献。
2005年には国体同代表アシスタントコーチ、翌2006年にはヘッドコーチとなる。
同年は母校・興南のアシスタントコーチも務める。
2007年に現役を引退し、地元からbjリーグに参戦する琉球ゴールデンキングスのアシスタントコーチに就任する。
2013年オフ、ヘッドコーチ昇格。2013-14シーズンはレギュラーシーズンで歴代最高の43勝をあげて最優秀コーチ賞を受賞。プレイオフも勝ち抜いて就任1シーズン目でのリーグ制覇を達成した。bjリーグ最後となった2015-16シーズンもリーグ制覇を達成。B.LEAGUE発足後も引き続き琉球の指揮を執った後、2017年オフに退任。
2017-18シーズンからは、旧NBLの実業団を母体とするサンロッカーズ渋谷のアシスタントコーチに就任。しかし2018-19シーズン途中に勝久ジェフリーヘッドコーチが解任されたことを受け、後任のヘッドコーチに就任した。
2022年12月23日付で退団[3]。
脚注編集
- ^ “琉球ゴールデンキングススタッフ”. okinawa-basketball.jp (2015年8月). 2015年8月31日閲覧。
- ^ “伊佐勉氏が渋谷AC就任 前キングス Bリーグ”. 琉球新報 (2017年6月30日). 2017年7月5日閲覧。
- ^ “SR渋谷が伊佐勉HCの退団を発表…12月24・25日仙台戦は浜中ACが指揮”. バスケットボールキング. (2022年12月23日) 2022年12月24日閲覧。