伊奈 忠勝(いな ただかつ)は、武蔵小室藩の第3代(最後)の藩主。

 
伊奈 忠勝
時代 江戸時代前期
生誕 慶長16年(1611年
死没 元和5年8月16日1619年9月23日
改名 熊蔵(幼名)→忠勝
戒名 廓然院殿見桐生蓮信男
墓所 埼玉県北足立郡伊奈町小室の願成寺
幕府 江戸幕府
武蔵小室藩
氏族 伊奈氏
父母 父:伊奈忠政、母:酒井重忠の娘
兄弟 忠勝忠隆
異父弟:分部嘉治
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第2代藩主・伊奈忠政の長男。早くから7歳年上の徳川家光に近侍として仕えた。元和4年(1618年)、父の死去により数え8歳で跡を継いだが、翌年8月16日に江戸において9歳で早世した。嗣子がいるはずもなく、小室藩は無嗣改易となった。

ただし弟の忠隆に1186石の所領が与えられ、宗英貞長忠義忠豊忠賢忠孚忠寛忠昶と旗本として続き、明治維新に至る。

なお、関東代官職は父の弟伊奈忠治の家系が代々継嗣した。