伊藤傳三
日本の実業家
(伊藤伝三から転送)
伊藤 傳三 (いとう でんぞう、1908年(明治41年)11月19日 - 1981年(昭和56年)6月22日)は、実業家、元伊藤ハム栄養食品社長。現・伊藤ハム株式会社創業者である[1]。
いとう でんぞう 伊藤 傳三 | |
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生誕 |
1908年11月19日 日本・三重県三重郡塩浜村(現・三重県四日市市塩浜) |
死没 | 1981年6月22日(72歳没) |
国籍 | 日本 |
職業 | 実業家 |
受賞 | 勲二等瑞宝章、ニュージーランド勲章 |
生涯
編集- 15歳で父を亡くし、母と二人で大阪へ向かい、海産物問屋に丁稚奉公で住み込みを始める。
- 2年後、神戸で伊藤が丁稚時代から夢見ていたハム・ソーセージの食肉加工業を開始。魚肉ソーセージから販売し、低価格と風味の良さが評判を得て大丸・阪急にも卸すようになる。
- しかしソーセージには豚腸を使っていたため、ケーシングに小さな穴が開いており、日が経つと水気が漏れバクテリアが繁殖し、悪臭を放っていた。そのため返品が相次ぎ工場も閉鎖に追い込まれ、2度目の挫折を味わう。「返品やできそこないのソーセージをリヤカーにうず高く積んで、真夜中に葦合区の生田川じりへ20貫、30貫と捨てた。運びながらこらえきれなくなって涙がポロポロ出た。」と後に伊藤は語っている。
- 再起を賭けて事業を再開するものの、資本不足の為他社と同じようなボンレス・ロースハムを作ることは困難だったため、伊藤は創意的かつ他社との差別化を図れる商品を模索した。そこで当時飴や薬を包むセロハンを利用することで衛生的に、かつ破棄された端材を利用することで低コストでソーセージを販売することを発案し、「セロファンウインナー」を販売し、夫婦二人で売り歩いた。既存のウィンナーと違い長さが均一であることから神戸のバーやカフエ等の飲食店から売り上げの計算が立てやすいと引き合いが殺到。人気を博し、後にマトンの大衆化を実現しニュージーランド国政府から民間最高名誉勲章(ONZ)を受章するなど様々な功績を残し、伊藤ハムの礎を築いた。
略歴
編集その他
編集- 株式会社パワーエックス代表執行役社長CEOの伊藤正裕は、傳三の孫にあたる。
参考サイト
編集COMIZINE ニッポン・ロングセラー考vol.47 ポールウインナー
著書
編集- 「続け根性」(サンケイ新聞社出版局 1971年)ASIN: B000J9HRGM
脚注
編集関連項目
編集- 公益財団法人伊藤文化財団 1981年、伊藤傳三が寄贈した伊藤ハム株式会社株式500万株、及び現金2500万円を基本財産として設立