伊藤 啓介(いとう けいすけ、1904年明治37年)12月31日 - 没年不明)は、日本実業家高岳製作所元取締役[1]三井銀行(現・三井住友銀行)元常任監査役。東京光学機械(現・トプコン)元監査役。

経歴 編集

埼玉県大里郡寄居町の吉田正治の次男として生まれた。早くに父を亡くし、義兄の医師・幾瀬量(娘は幾瀬マサ)の世話になる。幾瀬の先輩の伊藤新作(日本煉瓦製造営業部長)を紹介され懇意になり、望まれて伊藤の末期養子及びその妻伊藤乃ふの養子となる[2]

旧制熊谷中学旧制松本高校文科乙類を経て、1928年昭和3年)に東京帝国大学経済学部を卒業。大学卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。同行にて監査役・常任監査役を歴任。1962年(昭和37年)11月に高岳製作所取締役、1965年(昭和40年)11月に東京光学機械(現・トプコン)監査役に就任した[3]。その後、高岳製作所にて顧問(非常勤)を務めた。

人物 編集

宗教は仏教

家族 編集

参考文献 編集

  • 人事興信所編『人事興信録 第30版』人事興信所、1979年。
  • 『東京光学五十年史』東京工学機械編、1982年。

脚注 編集

  1. ^ 『人事興信録 第三十版 上』人事興信所、1979年3月8日、い87頁。 
  2. ^ NHKファミリーヒストリー「いとうあさこ〜チャレンジ精神は先祖譲り!?〜」
  3. ^ 『東京光学五十年史』東京工学機械、1982年、572頁。