伊藤 松雄(いとう まつお、1895年(明治28年)1月13日 - 1947年(昭和22年)8月5日[1])は、日本の劇作家脚本家演出家である[1]

いとう まつお
伊藤 松雄
生年月日 (1895-01-13) 1895年1月13日
没年月日 (1947-08-05) 1947年8月5日(52歳没)
出生地 日本の旗 日本 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市
職業 劇作家脚本家演出家
ジャンル 新劇サイレント映画現代劇
活動期間 1913年 - 1947年
主な作品
戯曲集
『危急』[1]
映画脚本集
『忘れな草』[1]
映画脚本
田中栄三監督『忘れな草
溝口健二監督『暁の死
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人物・来歴

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1895年(明治28年)1月13日長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)に生まれる[1]

東京に移り、旧制・早稲田大学を卒業、満18歳になる1913年(大正2年)、有楽座に加わり、劇作者兼演出家となる[1]新文芸協会、のちに森英次郎山田隆弥らの舞台協会新劇を演出した[1]

1920年(大正9年)、戯曲集『危急』を上梓、翌1921年(大正10年)、ショーレム・アッシュの戯曲『夜』を翻訳して上梓している。

舞台協会に属していた1923年(大正12年)、日活向島撮影所と同協会が提携、3作を製作することとなり、うち『忘れな草』、『三つの魂』にオリジナル脚本を書き下ろし、いずれも田中栄三が監督した。同年9月1日の関東大震災で同撮影所は壊滅、撮影所の人員は日活京都撮影所に移転、第二部を形成するが、翌1924年(大正13年)に溝口健二京都で監督した『暁の死』にオリジナルシナリオを提供している。1926年(大正15年)には、郷里に戻り、上諏訪町で郷土劇運動「村の劇場・町の劇場」を創始する[1]

新民謡の創作も行った[1]

1947年(昭和22年)8月5日、死去した[1]。満52歳没。

フィルモグラフィ

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ビブリオグラフィ

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国立国会図書館蔵書[2]

  1. ^ a b c d e f g h i j 伊藤松雄、『講談社 日本人名大辞典』、講談社コトバンク、2010年1月6日閲覧。
  2. ^ OPAC NDL 検索結果、国立国会図書館、2010年1月6日閲覧。

外部リンク

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