伊藤武雄 (中国研究者)
日本の中国研究者
伊藤 武雄(いとう たけお、1895年3月1日 - 1984年9月5日)は、日本の中国研究者。日中友好協会副会長を務めた。
央の人物が本項目で取り上げる伊藤武雄(他の4人は同姓同名の人物である。1951年撮影) | |
人物情報 | |
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生誕 |
1895年3月1日![]() |
死没 | 1984年9月5日 (89歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 中国学 |
研究機関 | 南満州鉄道 |
経歴
編集- 出生から修学期
1895年、愛知県渥美郡田原町(現・田原市)で生まれた[1]。東京帝国大学法学部政治学科で学び、1920年に卒業。
- 南満州鉄道勤務時代(戦前)
南満州鉄道勤務。満鉄時代の1943年、満鉄調査部事件で検挙され、10カ月投獄された[2]。
- 太平洋戦争後
第二次世界大戦後、1946年には中国研究所の設立に参加[3]したほか、日中友好協会副会長を務めた。また、日中文化交流協会を設立し、ジャパンプレス会長を務めた。
著作
編集著書
編集共編著
編集参考文献
編集- 『満鉄に生きて』著者紹介
- 『官報』1920年7月29日
- 『人物物故大年表』
- 『新美日中友好碑 先覚・伊藤武雄先生』伊藤武雄先生を顕彰する会 2011年
脚注
編集- ^ 20世紀日本人名事典(コトバンク)
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus コトバンク
- ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、351頁。ISBN 4-00-022512-X。