佐々木一陽
佐々木 一陽(ささき かずあき)は、江戸幕府旗本。石野広通の六男。次兄佐々木万彦の養嗣子となる。
時代 | 江戸時代後期 - 末期(幕末) |
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生誕 | 天明7年(1787年) |
死没 | 安政2年(1855年) |
改名 | 晴陽(初名) |
別名 | 主馬、三蔵(通称) |
官位 | 従五位下、近江守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶→家定 |
氏族 | 中原姓石野氏→佐々木氏 |
父母 | 父:石野広通、養父:佐々木万彦 |
兄弟 | 石野広温、万彦、森忠直妻、石野広澄養女、石野広持、中島正見、石野広江、一陽、谷広規 |
目付、勘定奉行(1843年)、小普請奉行を歴任する。万彦とともに歌人で、『梅花百題和歌』の編者は一陽とされる。安政2年(1855年)死去、享年69。
参考文献
編集- 『新訂寛政重修諸家譜』11(続群書類従完成会)
- 『美術人名辞典』(思文閣出版)