佐伯 助(さえき の たすく)は、奈良時代貴族宿禰官位従四位下肥後守

 
佐伯助
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 宝亀9年11月4日778年11月27日
官位 従四位下肥後守
主君 称徳天皇光仁天皇
氏族 佐伯宿禰
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経歴編集

天平宝字8年(764年藤原仲麻呂の乱終結後に、従五位下淡路守に叙任され、乱によって淡路国配流された淳仁廃帝監視する任務に当たった。翌天平神護元年(765年)2月に称徳天皇から以下勅令を受けている[1]

  • 淳仁廃帝が逃亡したとの情報を受けたことから事情を早急に報告すること。
  • 人々が商人と身分を偽って淡路国へ向かっているとの情報があることから、そのような者が集団を成すことを防ぐために、今後は一切禁止すること。

10月になって、助は淡路掾・高屋並木と共に逃亡した淳仁廃帝を捕らえて一院に押し込めると、翌日淳仁廃帝は没した[2]。(暗殺された可能性が高い。)

天平神護2年(766年)従五位上に叙せられると共に、山背介次いで山背守に任ぜられる。神護景雲3年(769年)には兵部大輔として京官に遷った。

光仁朝の宝亀2年(771年肥後守として再び地方官に転じると、宝亀3年(772年正五位下、宝亀6年(775年)従四位下と昇進を果たしている。

宝亀9年(778年)11月4日卒去。最終官位散位従四位下。

官歴編集

続日本紀』による。

脚注編集

  1. ^ 『続日本紀』天平神護元年2月14日条
  2. ^ 『続日本紀』天平神護元年10月22日条

参考文献編集