佐瀬 与次右衛門(させ よじえもん、寛永7年(1630年) - 正徳元年6月11日1711年7月26日))は、江戸時代前期から中期にかけての農業指導者[1]、篤農家[2]。名は末盛[1]。通称は幼名吉十郎、のち仙右衛門、晩年は与次右衛門[1][2]

経歴・人物編集

陸奥国会津郡幕内村の肝煎佐瀬家の長男として生まれる[2]。会津各地を巡り農業技術の改良や農業経営の指導に努め、貞享元年(1684年)に『会津農書』、他に幕内村の地誌である『会津幕内誌』や『会津農書附録』などの農書を著した[1][2]。『会津農書』は元禄2年(1689年)に藩から褒賞を受けた[2]。のち『会津農書』を農民にも容易に理解できるよう和歌にした『会津歌農書』を宝永元年(1704年)に著した[2]

脚注編集

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  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『佐瀬与次右衛門』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『佐瀬与次右衛門』 - コトバンク